この清原に匹敵する特大弾を放ったのが、99年の準優勝校・岡山理大付の捕手で、“吉備のドカベン”の異名をとった森田和也だ。

 3回戦の水戸商戦、3対0とリードの7回1死、センバツ準優勝投手の下手投げ右腕・三橋孝裕の真ん中外寄りの直球を左翼席中段に運ぶ140メートル弾。「歴代最長飛距離」と報じた新聞もあり、これが大会初安打でもあった。

 小さめのガッツポーズを繰り返し、巨体を揺すりながら、ゆっくりダイヤモンドを1周する姿は、ドカベンのイメージにピッタリ。「ゆっくり走ったのは、体がしんどいからです」と取材陣を笑わせ、背筋力270キロの怪力ながら、「(本塁打は)8分目の力でした」など、試合後のコメントもなかなかユニークだった。

 登録体重は105キロだが、実際は120キロ近くあり、甲子園入り後も「宿舎のご飯が美味しくて」2キロ増えたという。寮で同室のチームメートのCDケースを誤って踏んでしまったときには、ケースはもとよりCDまで割れてしまったというエピソードも。

 準決勝の智弁和歌山戦でもタイムリーを含む二塁打2本を放ち、「たくさん走って、本当にしんどい」のヒーロー談話でまた笑わせた。

 決勝では正田樹の桐生第一に1対14と大敗し、岡山県勢初の大旗を手にすることはできなかったが、試合後、連投の末、力尽きたエース・早藤祐介を「ご苦労さん、ナイスピッチングやったぞ」とねぎらう姿も印象的だった。

 そして、もう一人、140メートル弾を放った“伝説の男”が、06年、大阪桐蔭2年時の中田翔だ。

 1回戦の横浜戦、謝敷正吾の3ランで10対2と大きくリードを広げた8回1死、「来た球を思いっきり振ることしか考えていなかった」と、横浜の3番手・落司雄紀の初球、スライダーを弾丸ライナーでバックスクリーン左に運ぶとどめの特大ソロ。センター・下水流昂は1歩も動けず、打球は25段目に相当する中継用のカメラ台を直撃した。打った本人も「ダイヤモンドを回っていると、鳥肌が立った」としびれた強烈な当たりに、4万7千人の大観衆も一瞬シーンと静まり返ったほどだった。

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