頭は「ここからすぐに帰ろう」と言っている。自然と足が階段に向くが、「何も言わずに帰るのは失礼だ」といったん部屋の前まで引き返す。ひとまず支援者に「とても繊細な話なので、記事化するまでにお時間いただくと思います」と言ってみよう。ありとあらゆる言い訳の言葉を考え、長い廊下を行きつ戻りつしながら支援者が部屋から出てくるのを待った。

「おかー(お母さん)は(彼氏に殴られた)顔のあざを化粧でかくして出勤しよった」「おかーは殴られる時、隣の部屋に連れてかれる。殴られる音を聞くと妹が泣くわけ。そしたらなんでか、自分も涙が出るんだよ」

 ファミレスで聞いた姉の話と表情がよみがえった。痛みをこらえて仕事に向かった母の姿を、その母を見送った姉妹を、暴力の中で暮らす母娘の日常を思った。

「もう、見なかったことにはできない」。自分なりに子どもたちと向き合おうと覚悟を決めた。のろのろとカバンからノートを取り出し、目の前の光景を書きとめた。

「ドアチェーン、鎖こわれぶらさがる せんぷうき 網のとこへこみ、床にころがる」

 その姉妹以外にも、取材でつながった子どもたちの多くがさまざまな暴力にさらされていた。どんな痛みや思いを抱えて生きているのか伝えたい、そう思って取材を続けた。

■子どもたちのSOS

 同僚3人で続けた取材の内容は、2018年1月から8月にかけて連載「彷徨う 少年少女のリアル」として、沖縄の地元紙・琉球新報に掲載した。

 出会った子の多くは幼い頃から生活困窮や親からの虐待、いじめなどの困難に直面し、「不登校」という形でSOSを発していた。教育現場がどうなっているのか知ろうと学校を訪ね、教師からも話を聞いた。ある中学校の校長は、不登校の生徒たちを校長室で受け入れ、一緒に絵を描いたり、ギターを弾いたりしながら生徒が安心できる空間を作り出していた。

 ただ、こうした校長のような教師との出会いは、私が話を聞いた子どもたちの多くが持ち合わせていなかった。学校に通っている子や学校に楽しい思い出を持つ子はほぼおらず、どの子も、教師や同級生による否定や排除によって傷付けられた経験を重ねていた。

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孤立した子どもたちが居場所を求めるのは…