学校に行けなくなった子どもたちは、家でも孤立している場合が多かった。そんな彼らが居場所を求めるのは、街や暗闇の公園、SNSの空間だ。たどり着いた場所で大人に利用され、危険な目に追いやられることも少なくなかった。

 年上のグループとつるむようになった13歳の女の子は、言いつけに逆らえずに「援デリ」(出会い系サイトなどで募った客をあてがう違法風俗業)を強制され、客を取らされ続けた。高校に行けずにいた17歳の女の子は「いい働き口を紹介する」と声をかけた大人についていきレイプされたことを、記事の掲載後に明かしてくれた。

 連載に対しては、読者からさまざまな反応があった。特に、学校と家から離れて風俗の世界に押し出された女の子たちの話を書いた記事には、「沖縄の子どもはみんなそうだと思われる」「一部の子どもの話だ」などといった意見が寄せられた。性を搾取する加害者側の非をとがめず、女の子たちのみを批判する声は圧倒的に多かった。加害者に甘く、被害者に厳しい社会の感覚こそがおかしいのだと書き続けねばと、そう思っている。

 連載時から、子どもたちの痛ましい話を書くことで読者が親への非難を強めないか、「自分とは別世界の人たちの話だ」と切り離してしまわないか、ということが気がかりだった。取材の過程で、子どもたちの背後にいる親の姿も見えてきたからだ。

 ネグレクトと言われる親も、かつては子育てを頑張っていた時期があった。だが、離婚や失業、疾病などで生活が急変し、支え手のない中で力尽きていた。

 こうした限界点を超える親の姿は、ひとり親の当事者でもある私自身と重なる。ただそれは、ひとり親に限らず、不安定さを増した社会では誰もが直面しうる出来事だ。けっして、別世界や無関係の話ではない。

 連載を終えてから2年が経ち、正規採用で就職が決まった子や、小学校高学年から続いた長い不登校の時期を脱し、高校に進学した子がいる。一方、周囲の誰とも信頼関係を結べず孤立を深める子や、自傷行為を繰り返す子もいる。家の中にとどまり、暴力にひたすら耐える子もいる。体や心に新たな傷を増やしながら、どうにかこうにか生きている子は多い。

 そんな子どもたちや親への支援はどうあるべきか、まなざしは、かける言葉は、この手をどう使うべきか。本書を通して、読者の皆さんと考えることができたらと思っている。(琉球新報記者・新垣梨沙)

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