いつも稽古が終わって夕方5時くらいから銀座をウロウロして、銀座の店が閉まる23時か0時くらいまで飲んで、当時流行し始めた札幌ラーメンを食べて部屋に帰るのが日課だったね。ほとんど毎日声がかかってたけど、いやぁ、銀座は人のケツにくっついていくもんだとしみじみ思ったよ。銀座のおネエちゃんもお目が高いから一筋縄じゃいかないしね!
俺だけじゃなくて、当時の力士はみんな「ごっつぁんです」でおごってもらって飲んでいた。中には「俺は10円あれば朝まで飲める」って豪語している先輩もいて、どうするのかと思ったら、その10円で公衆電話をかけてどこかの社長をスポンサーとして捕まえて飲むんだ。普段厳しい先輩も夕方になると「社長~、元気ですか~」なんて電話しているのを見てはあきれたもんだよ(苦笑)。
あの頃の力士で身銭を切って飲んでいたのは横綱の北の富士さんくらいじゃないかな。若い衆はみんな「やっぱり北の富士さんは飲みっぷりもかっこいいなぁ」って思ったもんだ。そんな北の富士さん、引退するときに引退相撲をやった後に言ったのが「引退相撲で儲けたお金で、銀座のツケの借金がやっとなくなった」だからね。これは名言だ!
天龍源一郎といえば酒飲みというイメージが強いと思うけど、馬鹿みたいに飲んだのは阿修羅・原とのREVOLUTION時代だ。ちょうどその頃にアサヒ スーパードライが発売されて、俺だけじゃなくて普段はビールを飲まない阿修羅も気に入ってね。試合が終わると「源ちゃん、スーパードライ飲もう」って、それが2人の試合後の楽しみになった。試合後にうまいスーパードライが飲みたくて、2人で汗だくになって戦ったもんだ。
発売当時は東京の居酒屋にはスーパードライが置いてあったけど、地方ではあんまりなくてね。スーパードライが置いていないと酒屋で買ってきてもらったり、試合を観たファンと居合わせると「天龍と阿修羅が飲んでいるから、俺たちもスーパードライを飲もう」って真似して飲んでくれたり、俺と阿修羅はスーパードライの普及にずいぶんと貢献したんじゃないかな(笑)。