50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは? 今回は「遊び」がテーマ。飄々と明るくつれづれに語ります。
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子どもの頃の遊びと言えば、夏は川で泳いで、冬はスキーだね。俺のゲレンデはもっぱら裏山や近場の墓地だね。地元の名士の墓地は周りより高くなっていて、雪が積もると滑るのにちょうどいい山になるから、そこをスイーっとね(笑)。子どもの頃はあんまり気にしなかったけど、今思えばずいぶん罰当たりなことをしたもんだよ。
WARのときはファンと一緒にスキーツアーをやったよ。俺が子どもの頃のスキーは板に長靴を縄でくくりつけるようなものだったから、ちゃんとしたスキー靴を履いてみたらすごく安定して、曲がるのもイージーだったね。
楽ちゃん(6代目三遊亭円楽)もスキーが好きで、三沢(光晴)と楽ちゃんと嶋田家でスキー旅行もしたもんだよ。三沢は滑ることは滑るんだけど、うまく止まれなくて受け身を取って止まるんだ。三沢だけじゃなくて、レスラーは転び方がうまくてみんなちゃんと受け身を取る。だから、レスラーがスキーをやるとスキー場のあちこちに受け身を取った後の穴が開いてゲレンデがボコボコになっちゃうんだよ。北原(光騎)が止まれなくなってコースの外に落ちるように姿を消した時は、みんな焦って助けに行ったもんだよ。北原? もちろん受け身を取って無事だったよ(笑)。
俺も滑るのは達者だけど、初めてリフトに乗ったときはまいったよ。なかなか乗るタイミングがつかめなくて、大男がオロオロしちゃってね。リフト乗り場のオヤジに「後ろがつかえているからさっさと乗れ!」なんて怒られて、ようやく乗っても今度は降り方がわからない(笑)。
相撲の若手時代は遊びに行くといっても浅草や錦糸町くらいなもんで、銀座で飲むようになったのは新十両に上がって関取になってから。関取になるとタニマチや後援者から夜の銀座に誘われるようになってね。「これが銀座かぁ」なんて感慨にふけったもんだよ。