被告人質問での証言によれば、最初の思い出は3歳のころ、母親にトイレに閉じ込められて電気を消された。2階の窓から体を突き出されたこともあった。自宅の新築時に遊んでくれた大工に憧れてなりたいと思ったが、否定された。夢に見たレーサーも同様だった。
風呂で九九を暗唱し、間違えると風呂に沈められた。母親は「スイミングを習っててよかったね」と笑った。泣くたびにスタンプが増えるスタンプカードを作られ、10個たまると罰が下る。夏にはサウナ状態の屋根裏部屋に閉じ込められた。
新聞の折り込みチラシにぶちまけられたご飯を食べさせられたのは有名だが、これは食器を片付けたい母親より食べるのが遅かったとき。小学校時代の数カ月間に幾度かあったが、父親は「見て見ぬふり」だったという。
小学校高学年でおねしょしたときには、布オムツをはかされた。買ってもらったパソコンも「欲しくないのに無理やり買い与えられた」と言い、楽しい思い出はないと断言している。
中学時代にガールフレンドがいたことや親しい仲間たちとの思い出も、加藤被告は法廷で冗舌に語った。そこにも恋愛を禁止したり家で遊ぶことを嫌がったりする母親の「悪行」が添えられた。
伝えたいことを行動で示すという加藤被告の「考え方」に沿ったエピソードは実に豊富だった。高校卒業後に転々とした先々の学校や勤め先で友人や同僚と衝突し、一人ぶちギレて人間関係や職場を放り出して困らせる。火をつけるとか、トラックをぶつけるとか、想像しただけの「犯行」は今でも細部まで覚えている。