死産や流産、新生児死などで赤ちゃんが亡くなった後に授かった赤ちゃんを指す「レインボーベビー」いう言葉。海外で生まれた造語ながら、近年日本でもブログやSNSなどで使われるようになった。希望の象徴のような言葉だが、無事に赤ちゃんを授かったとしても、決して以前の傷が癒えるわけではないという。AERA 2020年10月19日号では、葛藤を抱える母親たちを取材した。
※【息子の名を呼ぶ度、亡き娘を「心で呼ぶ」 “レインボーベビー”授かった母親の葛藤】より続く
* * *
赤ちゃんを亡くした家族の心の支援を啓発する当事者グループ「Angie」のメンバーの平尾奈央さん(38)は12年前に死産し、翌年息子を出産した。
「悲しみと向き合わないままに次の出産を迎え、その後も育児に追われて娘の死と向き合えず、10年近く苦しみました」
妊娠8カ月のとき、胎動が弱いと感じ、産婦人科を緊急受診したが、診察した医師に「寝ているだけ」と言われた。1週間後の健診で心臓が止まっていた。
亡くなった子も陣痛を起こして自然分娩で産むと聞かされ、驚いた。まだ子宮口も開いておらず、棒状の器具を使って子宮口を広げる処置はかなりの痛みを伴うものだった。痛みに悶えながら、「産声も聞けないのに、なんでこんなにつらい思いをしないといけないの」と涙がこぼれた。その後半年間の記憶は今もほとんどない。
2度目の妊娠、出産では、前回のつらい記憶が次々によみがえった。病院が開催した両親学級では死産の際に入院していた病室を見せられ、当時の記憶がフラッシュバックした。産後は亡くなった娘を助けてあげられなかった罪悪感が消えなかった。
夫は長期出張も多く、24時間赤ちゃんと二人きりの生活で次第に追い込まれた。泣きやまない息子に向かってタオルケットを投げてしまったこともあった。すぐに我に返ったが、「待ち望んでいた赤ちゃんなのに命を大切に扱えないなんて」と自分が嫌になり、「こんなママでごめんね」と泣きながら謝った。
死産や流産の当事者による「お話会」と呼ばれる集まりを探したが、多くは子ども連れの参加を認めておらず、気持ちを吐き出せる場所もなかった。