東日本大震災で津波にのまれた岩手県釜石市で、次々と運び込まれる遺体と向き合った人々の実話を基にした映画「遺体~明日への十日間~」(君塚良一監督)が公開中だ。震災から2年がたとうとするいま、この作品が伝えることは何か。原作者でノンフィクション作家の石井光太さんに話を聞いた。
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――このルポのタイトルを「遺体」としたことには、やはり大きな意図がおありになった?
遺体安置所で働いた人々がした行為は、犠牲となった方を「遺体」として受け入れ、扱うことでした。遺体安置所に運ばれてくる犠牲者はヘドロを被り、硬直し、傷ついた「死体」でした。名前もなく、番号がついているだけ。でも、安置所に集まった人々が、なんとか彼らの尊厳を守ろうと、わずかな水でヘドロを洗い、顔にお化粧をし、遺族を見つけ、納棺して送り出す。そうやって「死体」を「遺体」にしたのです。そうした一連の過程を見たとき、僕は「遺体」という言葉の重みや尊さを初めて認識しました。そしてこの本の題は、「遺体」しかありえないと思った。
だから、原作は、遺体安置所を書いたものでも、津波の恐ろしさを描いたものでもないのです。亡くなった方を全力で「遺体」として送り出した釜石の人々の良心を描いたものなのです。
――復興支援、原発問題など、政府の対応に賛否両論ありますが
震災を政治的な視点で捉えることは悪いことではないと思います。ただ、それとは別に、本質的な部分を多くの方が忘れてしまっている気がします。原発の責任問題は確かに重要ですが、それ以前に「大勢の人々が亡くなっている」という事実がある。真っ先に見なきゃいけないのはそこですよ。亡くなった方、遺族に対して、「自分は何ができるのか」を一人ひとりが考えなきゃいけない。
※週刊朝日 2013年3月8日号