缶酎ハイは中身が相当残っていたらしく、音はしばらくの間続いた。液体が、男の足元から目の前にある植え込みの方に向かってヘビのようにくねりながら流れていく。中身がすっかりなくなると、男は片手でアルミ缶をベキベキと握りつぶしながら立ち上がり、植え込みに置かれた金属製のゴミ箱の中に叩き込んだ。
クソッタレな自分の人生に毒づいているのか、クソッタレな世の中に対する恨みなのか、それともその両方なのか、いずれであるにせよセリフをつけるとすれば、
「クソッタレ!」
以外にあり得ない。
ベンチから立ち上がった男はかなり上背があった。ゆらゆらと上体をゆすりながら、公園の出口の方へ歩いていく。
声をかけて話を聞くべきか……。
まだ肚が据わり切っていなかった私は、丼を掻き込んでから公園の出口に向かった。左右を見回したが、男の姿はすでになかった。
幅わずか200メートル、奥行き300メートルほどの長方形の中に120軒ものドヤが櫛比し、6000人を超える人間が“宿泊”する寿地区。宿泊者の大半は単身の男性であり、その半数以上が高齢者だという。
この蟻塚が林立するようなドヤ街の中にもぐり込まれてしまったら、行方は杳としてわからない。あの黒ゾッキの男に会うことは、もう二度とできないだろう。
■ドヤに入る
数日後、寿町ではちょっと名の知れた扇荘新館の帳場さん(簡易宿泊所の管理人)、岡本相大の手引きでようやくドヤの住人の話が聞けることになった。
住人の名前は大久保勝則。昭和19年1月の生まれだから、満で72歳になる。岡本に部屋番号を教えてもらい、ビジネスホテルと見紛うばかりの小奇麗なエントランスに恐る恐る足を踏み入れてみると、そこは意外にも清浄な空間だった。あの臭いもドヤの内部までは追ってこない。
エレベーターで6階まで上がったが、乗り降りする女性が多いことにも驚かされた。ドヤの内部ではヘルパーの女性がたくさん働いているのだ。エレベーターの中で、知り合いのヘルパー同士が屈託なく笑い合っている。足を踏み入れるのに勇気を振り絞った自分が馬鹿馬鹿しく思えるほど、ドヤの内部はあっけらかんと明るい。