部屋番号の記された白い引き戸をノックすると、野太い、しわがれた声で返事があった。白髪を短く刈り込んだ大久保が、ベージュ色のベストを着込んでベッドのへりに腰をかけていた。
小柄だが、胸の前で組んだ両腕が太い。
「俺は一日中この部屋にいて、何もすることがないんだからさ、時間は気にしなくていいよ」
ベッドは四畳ほどの部屋の長辺に沿って置いてあり、ベッドの脇にキャスターのついた幅30センチほどの細長いテーブルがひとつ。病院でよく見かける、ベッドとテーブルのセットと同じである。
入って左手には白いカラーボックスがあり、最上段に衣類、上段に小型の液晶テレビ、中段に小物と調味料と薬、下段に靴。カラーボックスの左に小型の冷蔵庫。入って右手には、プラスチックの衣装ケースが四段ほど積んである。
「脳梗塞をやって、杖がないと歩けないからほとんど外出しないんだ」
時々ヘルパーに付き添われて公園に行くのと、週に2度、デイサービスで風呂に入るのと、近くのコンビニに缶酎ハイを買いに行く以外、この部屋から出ることはない。一日中、テレビを見て暮らしているという。
大久保は寿町のすぐ近く、伊勢佐木町の生まれである。伊勢佐木町といえば青江三奈の『伊勢佐木町ブルース』だが、大久保が生まれたのは阪東橋に近い方だというから、繁華街ではない。育ったのは、金沢区の京急富岡駅の近く。横浜高校の海側に住んでいたという。
「いまで言う里山と海に囲まれて、いいところだったねぇ。富岡から能見台にかけては環境がいいってんで、サナトリウムが多かったんだ」
父親は「無理やり分ければサラリーマン」だった。現在、日産自動車の追浜工場がある夏島にはかつて進駐軍が駐留していて、父親は進駐軍で何らかの仕事をしていたらしいが、大久保は仕事の中身を知らない。
「里山」という単語、「無理やり分ければ」という表現。いずれを取っても、大久保の言葉にはそこはかとなく知性とユーモアが漂っているのだが、歩んできた道のりはそれとは正反対のイメージだから面白い。