布団屋時代、一姫二太郎に恵まれて、大久保の人生は絶頂期にあった。布団屋の他にアルバイトでタクシーの仕事もやり、布団産業が斜陽になってくると砂糖や小麦の配送の仕事もやった。一時は三股で仕事をしていたという。
大久保が得意の絶頂にいたことを物語るエピソードがある。伊勢佐木町に近い福富町には70年代前半までグランドキャバレーがたくさんあり、大久保はそのほとんどを飲み歩いたが、なんと、生まれたばかりの長女をよくキャバレーに連れていったというのである。
「グランドキャバレーってのは、いまのキャバクラなんかと違って、ちゃんとしたホステスがいるんだ。ホステスには、いろいろあって子供を作れない女が多かったから、赤ん坊を連れていくとかわいいかわいいでさ、いつまでたっても俺のとこへ戻ってこないんで心配になるぐらいだったな」
布団屋の売り上げをちょろまかしては、和田町(相鉄線の駅名)のスナックにもよく出かけた。和田町のスナックにはやはりしんねこになったママがいたが、大久保はその店に子供だけでなく、嫁さんまで連れていったという。なぜわざわざそんなことをしたのか。
「俺としては、隠しごとをしないで遊んでるって気持ちだったんだけど、まぁ、正体を明かし過ぎたのかもな」
やがて、横浜の旭区に中古だが一戸建ての家も買い、子供たちも順調に育っていると信じ込んでいた矢先、大久保は青天の霹靂に遭遇する。
「あんた、この家から出ていってくれないかな」
突如、妻から三下り半を突き付けられたのである。
「いきなり後ろから、丸太で殴られたみたいだったな。いまだに理由はよくわからないんだけど、毎晩飲み歩いてたしな。和田のスナックにさんざん通ってたこととか……。きっと恨み骨髄だったんだろうな」
家も買ったし子供も育てた。男としての役目は終えたんだという思いで、大久保は妻の言葉に従い潔く家を出た。家の名義も車の名義も妻の名前に変えて、桜ケ丘(保土ヶ谷区)のアパートでひとり暮らしを始めることにした。タクシー会社に正式に復帰したから、食べるのに不自由はなかった。