しんねこ。
私はこの言葉を生まれて初めて聞いた。
辞書には「男女がさしむかいで仲よくしていること」(講談社・日本語大辞典)とある。英語のsteadyに近い言葉かと思ったが、どうもそうではない。「しんねこを決め込む」といえば、人目を忍んで語り合うというニュアンスになるらしいから、公然の関係には使わない言葉だろう。
この「しんねこ」、大久保の人生につきまとい、大久保の人生を左右し続けた言葉だと言ってもいい。
居酒屋の娘と結婚した大久保は、相性がよかったこともあってしばらくは幸福な生活を送っていた。運送屋から転身したタクシーの仕事も順調で、常に某タクシー会社の間門営業所の三羽烏に数えられるほど水揚げがよかった。
早朝に間門営業所を出庫して本牧まで流すと、簡単に客を拾うことができた。本牧から乗る客のほとんどは、麦田のトンネルを抜けて桜木町駅か石川町駅まで行く客だ。
桜木町駅で客を降ろすと、今度は横浜港の倉庫会社に勤めるサラリーマンが待ち受けていた。彼らは山下町か新山下町まで乗る。一方、石川町駅で客を降ろした場合は、山手の高台にある女子高の生徒が次の客になった。
「フェリスとか横浜女学院の生徒が4、5人のグループを作って乗ってくるんだね。生意気だとは思ったけど、山手は急坂が多いから歩くのが嫌だったんじゃないの」
幸福な結婚生活に水を差したのは、義理の父親だった。大久保は婿に入ることを条件に結婚をして、実際、苗字も変えていた。ところが、義父がもうひとつ条件を持ち出したのだ。それは自分が入信している新興宗教に、大久保も入ることだった。しかし大久保は、この条件だけはどうしても呑めなかった。
「実は俺も東京で働いてた時分、ある新興宗教に入ってたことがあるんだけど、もう、懲りたんだよ。宗教ってのが大嫌いになっちゃったんだね」
なんせ暴力団を「グループ活動」と喝破した大久保である。やはり集団活動は性に合わなかったのだろうか……。