「じゃあどうするかっていったら、あの当時、10代の小僧が金を稼ぐには運転手が一番よかったんだ。免許さえあれば、18、9だって60だって同じだからさ」
大久保は飯場を飛び出すと、三ツ沢下町にあるモグリの運送屋で大型トラックの助手として働くことになった。
モグリということは白タクと同じことで、緑ナンバーではなく白ナンバーをつけたトラックしかない。では、モグリだからロクでもない人間ばかりの会社だったかといえば、そうでもなかった。大久保の相方の運転手は、川崎の市営埠頭に行くたび、免許を取りたいという大久保にハンドルを握らせてくれた。
「埠頭の中は道路交通法の対象にならないんだね。川崎の市営埠頭にはいすゞの工場があって(現在は閉鎖)、ナンバーをつけてない裸馬(エンジンだけのトラック)がたくさん走ってたもんだ。あそこなら無免許でも捕まらないってんで、港湾の仕事が入るたびに練習させてくれたんだ」
モグリの会社を経営していた社長も、決して悪人ではなかった。大久保が横浜に戻らずに専ら東北で仕事をしていた時分、寿町からそう遠くない天神橋にあった天神寮という養老院で、父親が死んだ。社長は大久保が横浜に戻ってくるまでの間に、葬式一切を済ませてくれていた。
モグリの運送屋時代に、大久保は最初の結婚をしている。相手は反町の隣の松本町にあった、小便臭い居酒屋の女将の娘である。
「当時、東横線の反町駅近くのガード下は両側がずーっと飲み屋でさ、運送屋の寮があった三ツ沢は何もなかったから、俺は年じゅう反町方面に飲みに行ってたわけだ」
そのうちの一軒の女将が大久保を気に入って、婿になって店を継いでくれと言う。娘は一流会社のOLで大久保も気に入っていたから、居酒屋の二階で新婚生活を始めることになり、やがて反町駅裏のアパートでふたり切りの所帯を持った。
この頃、大久保は毎日のように反町界隈を飲み歩いてはいたが、ほとんど金を払ったことがなかったという。
「飲み屋のお姉ちゃんとしんねこになってたから、お姉ちゃんの方で金はいらないって言うんだよ」