名物連載も扇谷の時代に続々と始まっている。

 その一つが吉川英治の小説「新・平家物語」(1950~57年)。映画化されたり、NHK大河ドラマにもなるなど絶大な人気を誇った作品だ。担当は扇谷で、吉野村(現・東京都青梅市)まで片道2時間半から3時間もかけて原稿を受け取りに行ったり、ゲラ刷り(原稿を活字にしたもの)を持っていったりしていたという。扇谷はゲラを急いで持っていった理由を著書の中でこう述べている。

「ゲラ刷りを急ぐのは、吉川さんは前のゲラ刷りを見ないと、次の原稿にとりかかれないのである」(『えんぴつ戦線異状なし』)

 もう一つ人気を集めたのが、「名弁士で話芸にたけた」と評された漫談家・徳川夢声の「問答有用」(1951~58年)だ。第1回のテーマは、尾張徳川家当主・徳川義親との「真贋徳川対決」だった。その後、吉田茂、山下清、長嶋茂雄、秩父宮雍仁親王など多くの著名人と対談をしている。政治家でも武家でも皇族でも対談相手にズバズバと聞いていくスタイルは好評を博した。

「問答有用」について正紀氏は「特別な意味がある」という。扇谷は社会部記者として36年に二・二六事件を経験。帝大在学中の32年には青年将校による五・一五事件が起き、「話せばわかる」と言った犬養毅首相が「問答無用」と殺害された。

「政治家が問答無用と殺害され、軍を下手に批判できない時代だった。戦後、編集長になり、その反省が『問答有用』というタイトルに表れている。徳川夢声さんもそれを理解して対談に取り組んでいたのではないか」

 このとき「日本拝見」という連載企画を戦略的に使っていた。日本各地をルポルタージュする企画で、執筆陣には大宅壮一、花森安治、小林秀雄などがいた。記事にすることでその地域の住民が週刊朝日を購入し、その際に「新・平家物語」や「問答有用」を見て、新規読者を開拓するという狙いだった。現在も続く「週刊図書館」も扇谷時代に誕生したものだ。

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