相方の金城は、「せやろがいおじさんの誕生については、ぼくはノータッチですが、今までの榎森とは別人のような感覚です。政治的なことをやりだしたときは『おいおい、大丈夫か』と思いました」と笑う
相方の金城は、「せやろがいおじさんの誕生については、ぼくはノータッチですが、今までの榎森とは別人のような感覚です。政治的なことをやりだしたときは『おいおい、大丈夫か』と思いました」と笑う

「関西弁の人にあまり出会ったことがなかったので、ちょっと圧を感じていたのかも。天理高校のジャージを着ていたんです」

 金城は客として先輩のライブに1年以上通っていたが、榎森からすぐに「俺らもお笑い、いっしょにやりましょうよ」と言われたという。もともと榎森は「ダウンタウン」が憧れの芸人で、自分もその世界に飛び込みたいという思いもあった。2人は、コンビニの店員と客、医者と患者といった設定の漫才を、まずはサークル的にやり始め、その後、事務所に所属した。それが、お笑いコンビ「リップサービス」の船出だった。

 大学卒業後もM-1グランプリを目指すが、予選の3回戦進出が過去最高。とはいえ、何千組中の上位300組ぐらいに残ったのだから、漫才コンビとしてはかなりの実力だ。沖縄の放送局が主催する、沖縄ナンバー1のお笑いを決めるバラエティー番組「お笑いバイアスロン」では、14年から17年まで4連覇する。

■18年の沖縄県知事選から 政治をネタに動画を制作

 漫才をやるかたわら、榎森はユーチューブに目をつけた。2017年はすでにユーチューブが全盛期で、沖縄からSNSでコンテンツを広げようと考え、試行錯誤の末、今のいでたちの「せやろがいおじさん」キャラを生み出した。しかし、当初はいかにもユーチューバーにありがちなドッキリ企画や大喜利企画、「うんこ沖縄方言講座」という、本人に言わせると「バカバカしい」企画を「垂れ流してました」。反応は薄かったが、あるとき政治をネタに動画を作ると、ファンから「政治のことを言うなんてがっかりです」と声が寄せられた。

「なんで政治のことがあかんのやろなあと考えてみて、この国の政治や社会のことを語るのは悪くないと、この国に住む人がこの国のことを話していけないわけがない、と結論を出すわけです。とくにネット空間なんかでは、自分の考え方とちがう人とは意見をかわせへん、倒すべき相手みたいにしかならないのは、そのコミュニケーションエラーなんじゃないかと思った。だったら俺はお笑い芸人として自分の意見を言い、それを笑って聴いてくれたら乗りきれるんじゃないかと思った」

 ちょうど、榎森は30代にさしかかろうとしていた。実は選挙にも行ったことがなかった。このまま30代を漫然と過ごし、40歳、50歳になったときに何も政治のことを知らなくていいのか。漠然とした不安におそわれた。そこで、18年の沖縄県知事選のときから、せやろがいおじさんとして、本格的に政治ネタの動画制作に針をふりきるようにシフトしていった。

 動画を作るために、榎森は社会問題を水を吸い上げるように吸収していった。それまでの自分の「笑い」も反省し、漫才からもミソジニー的な要素やルッキズムのネタなどを省いた。20年(開催は21年)の東京オリンピックが商業イベントなのにもかかわらず、「無償ボランティア」を募集した、いわゆる「ブラックボランティア」問題や、我が子の名前をタトゥーに刻んだタレントの「ryuchellりゅうちぇる)」に対するバッシングに真っ向から反論した動画あたりから、一気に動画再生回数が増えだした。

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