政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
【写真】韓国大統領府の会議で 慰安婦について語る文在寅大統領
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3月1日に行われた韓国の独立運動記念式典で文在寅(ムンジェイン)大統領は、慰安婦問題や徴用工問題には直接言及しなかったものの「日本は重要な隣国」「対話する準備はできている」というメッセージを出しました。
文大統領が一変してこのような発言をするに至ったのには理由があります。一つは、文大統領の任期が残り1年となったということ。二つめは、対中、対北朝鮮をにらみ、日米韓の連携を重視するバイデン大統領に政権が移ったことです。
バイデン大統領といえば、安倍政権時の慰安婦をめぐる日韓合意の影の立役者ですし、そのバイデン大統領の懐刀ともいわれるブリンケン国務長官もまた、日韓に精通した人です。そこにハーバード大学教授が慰安婦被害者を「売春婦」と結論づけた論文を出し、世界各国の2400人もの学者が抗議の声をあげ、大騒動に発展している問題も勃発しているため、バイデン政権は日韓関係の修復にこれまで以上に積極的に乗り出す可能性があります。そんな最中の独立運動式典での演説です。文大統領にしてみれば、日本に対話を呼びかけることで、「韓国は対話の用意があるけれど日本が頑(かたく)ななんだよ」ということもアピールできるという思惑も少しはあったのでしょう。
バイデン政権については、多様性に配慮するなどリベラルなイメージが強くある一方で、今回のシリア爆撃が示すように対外的にかなりアグレッシブな一面が見られます。そのアグレッシブさはいつアフガニスタンに向かわないとも限りません。そもそも北朝鮮が核武装に走ったのは、米国によるリビアへの軍事介入がきっかけでした。米国が北朝鮮に武力行使をすることは、今はまだあり得ないでしょうが、北朝鮮が危機感を募らせていく可能性は十分にあります。今後バイデン政権がリベラルな価値観と相反するような体制や国に対してどういう対応をしていくのかが問われています。
北朝鮮に対して非常にシリアスなハードライナー的なことを今のバイデン政権がやらないようにするためにも、日韓の協力は必要不可欠です。戦後最悪と言われていた日韓関係ですが、近々動き出すかもしれません。
姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
※AERA 2021年3月15日号