プロレス時代は、プロレス大賞の最高年齢での年間最高試合など、いろいろもらっているけど、なにより誇れるのは、阿修羅・原と“龍原砲”を結成したとき、「俺たちで後楽園ホールを満員にしよう!」と二人で誓って、数カ月後に満員にできたことだ。当時の全日本プロレスは長州力がいなくなって、輪島さんにも陰りが見えてきてね。新日本プロレスの一人勝ち状態で、全日本が苦戦していた時期だったよ。そんな中で、俺と阿修羅ががんばって盛り返したことは今でも自信を持っている。

 あと、トップになったレスラーで俺が一番多くの団体のリングに上がっているんじゃないかな(笑)。オファーがあれば、どんな団体のリングにも上がったよ。主要な団体で出ていないのはジュニア選手が主体のみちのくプロレスくらいなもんか。

 記録といえば、あとはそうだなぁ。一番食べた記録は相撲時代のことで、毎食どんぶり茶碗で10杯食べていたことかな。一升くらいは食っていたと思う。ただ、番付が上がると俺が食べ終わるまで下の力士が食えないから、先輩から「おい! いつまで食ってるんだ! いい加減に若い奴に場所を空けてやれ!」と怒られてね、それから食べる量が減ったんだ(笑)。

 プロレスに転向してからもよく食べていて、体重はいつも112キロ前後をキープしていたけど、最高はSWS時代の136キロ。全日本プロレスを退団して半年間くらいは試合がなかったし、スポンサーのメガネスーパーからお金はがっぽりもらっていたもんだから、勝手に体重が増えちゃった(笑)。このときはさすがに試合をすると息切れがしてしんどかったよ。

 今では食べる量も減って、ご飯は普通の茶碗に1膳から1膳半くらい。すっかり普通の人だよ。よくテレビで「昼めし旅」(テレビ東京系)を見ては、「みんな豪華なもん食べてるなぁ。我が家は質素だねぇ」なんて言いながら飯を食っている(笑)。でも、不思議なもので、からだの大きさは変わらないんだ。うちのおやじも大きかったし、これは嶋田家の遺伝だね。

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