50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「記録」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。
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まず、相撲時代の記録で俺が一番誇れるのは、相撲の世界に13年間いて、場所を一日も休場しなかったことだ。取り組み中に捻挫をしたり、脳振とうを起こしたりと、いろいろなケガもあったけど、次の日になったらなにがなんでも出なきゃいけないという責任感があったね。休むのが嫌だったし、何より一つでも勝つと本当に嬉しかったというのも大きい。逆に負けが込んで落ち込むことも多かったが、それでも場所に行って相撲を取るのが使命みたいな感じだったよ。
一度も休場しなかったのは、骨折とか大きなケガが無くてラッキーだった面もある。でも足首を捻挫して足を引きずりながら出たこともあるし、脳振とうも何度もあった。今だったら脳振とうを起こしたら親方が休ませるだろうね。
脳振とうを起こされる相手はいつも決まって福の花関だ。彼の張り手は強烈で、ボクシングのフックのような角度で入るから“フックの花”なんて呼ばれていてね。俺も何度もその張り手を食らって脳振とうを起こしたし、当時大関だった北の富士さんもノックアウトされていたり、多くの力士がやられていたよ(苦笑)。大きくて盛り上がった手でバチーンとやられるから、あごのあたりに食らうとストンと落ちちゃう。その時に足首から落ちるから併せて捻挫もしちゃうんだよね。いやぁ、あの強烈な張り手は今でも覚えているよ。
相撲でもう一つ、1973年の九州場所の千秋楽で、当時前頭7枚目の平幕だった俺が「三役揃い踏み」に出たことも自慢だ。番付でいったら俺が出られるような時期じゃなかったけど、後にプロレスでも因縁ができる横綱の輪島さんが千秋楽に休場してね。九州場所で調子がよかった俺が抜擢されたんだ。前日に言われたんだけど、さすがにびっくりしたよ!