■父を奪い自問自答
81年。内戦が小康状態になった間隙(かんげき)を縫って、陽子さんはカンボジアに入った。幸基さんは74年1月に病死していた。その事実を、最期まで看病した女性から聞くことができた。2009年には彼が息を引き取った野営病院や埋葬場所を確認。消息を絶ってから36年の歳月が流れていた。
長男は父親と同じ職業を選び、長女は米国で家庭を築いた。子供たちを立派に育てた陽子さんだが、自問自答は続く。「父親を奪った事実、いつも心のどこかで私は子どもたちにわびている。それは彼らがすでに人の親になっている今でもそうだ」
カンボジア人のためでも、国を良くするためでもなく、大国の論理で始まった内戦。実態を知るにつれ、「夫をこんなばかげた戦争のために亡くしてしまった」とやりきれなさが募る。
それでも夫からの手紙を読み返すと、ジャーナリストの仕事に身を捧げながらも、夫であり父であるという自覚が幸基さんの意識の根底にあったことに気づき、救われる。陽子さんが記憶の断片を拾い集め、夫の資料を整理しながら分かったことは「私が自分の生涯で『確かに、一人の人から心から愛された』という愛(いと)おしい思い」だった。
陽子さんの軌跡は、幸基さんの人生の続編のような色彩も帯びる。内戦を取材した人たちの交流会に参加し、かつての仲間と本人に代わって旧交を温めた。そして、戦場に散った報道の猛者たちに思いをはせ、涙する。
自分の内面と生き様を丁寧に掘り下げ、記録してくれる伴侶の存在は、幸基さんにとってジャーナリスト冥利(みょうり)に尽きる最高の幸運といえるだろう。
「長い旅だった。一人旅だなんて思いもよらなかった」
陽子さんが綴るこの言葉が少しも愚痴っぽくなく、凛(りん)とした彩りを放つのに感動をおぼえた。(編集部・渡辺豪)
※AERA 2021年6月28日号
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