浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 このところ、何かにつけて交点が気になる。交点は出合いの場だ。何かと何かが出合う時、そこに芽生えるものは何だろう。道と道が交差する十字路も、交点だ。十字路は、実は危険なところだ。十字路は、悪魔に願いを叶(かな)えて欲しい時に立つ場所だ。悪魔への願いは、代償が怖い。騙(だま)される確率も高い。

 今、筆者が特に気になる交点が三つある。その一がキャリアとジョブの交点だ。その二が良識と常識の交点。その三が資本主義と社会主義の交点である。

 キャリアは、実に日本語化し難い言葉だ。どのような脈絡で使うかによって、訳し方が変わってくる。ジョブすなわち仕事との交点を考える上では、職業人生という感じになるかと思う。

 自分の仕事と、自分の職業人生の一致度が高い人は、幸せだ。こんな仕事を職業にしたくはない。だが、他にできる仕事がないから致し方ない。そのような人は不幸だ。このジョブから、自分のキャリアを解き放ちたい。そう感じて、もがいている人は少なくないだろう。

 良識と常識の交点は善き場所だ。この十字路に悪魔はいない。良心に根差す良識が、広く常識化している社会は、素敵だ。常識が良識から遠ざかれば遠ざかるほど、醜さと悲惨さが増す。

 今日の日本の政策責任者たちは、その常識が良識から凄(すさ)まじく遠いところにある。だから、新型コロナウイルスが不気味な変異を遂げながら、なおも猛威を振るう状況の下で、オリンピックを開こうとする。しかも、有観客で。彼らの常識には良識の裏づけがない。だから、とんでもない暴言を吐いて世間の大顰蹙(ひんしゅく)を買っても、自分の発言のどこが悪かったのか分からない。

 資本主義と社会主義の交点は、なかなか評価が難しい。そこはどんな場所なのだろう。資本主義的社会主義なのか。社会主義的資本主義なのか。両者のいいとこ取り型の世界なら、居心地良さそうだ。ひょっとすると天国か? その逆で、両者の最悪なところが出合ってしまうと、この交点は地獄になるだろう。

 悪魔に資本主義と社会主義の出合いを願ってはいけない。願いを叶えてやったぜと、地獄の底で笑い飛ばされること間違いなし。

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

AERA 2021年7月5日号