本書の聞き手である河路由佳さんは、日本語教育の専門家だ。河路さんがおこなった、アブディンさんを支えてきた教師やホストファミリー、友人へのインタビューは、とても温かい。真の国際交流を見る思いだ。

 やがてアブディンさんは「耳で聴く読書」に熱中する。印象に残っているのは三浦綾子『銃口』や遠藤周作『深い河』。夏目漱石の『坊っちゃん』は何度も聴いた。

「漱石のすごいところは今の時代でも通じる言葉で書き、文全体に力があってリズムを持っていること。音で聴いているぼくはリズムが耳に残るんですが、漱石ほどリズムがよい作家はいません」

 漢字を覚え、日本の小説を楽しみ、方言の豊かさを味わったアブディンさん。やがて視覚聴覚障害者のための筑波技術短期大学(現・筑波技術大学)でパソコンに出合うと、それまで点字で書いていた原稿もキーボードで入力するようになる。

「ぼくにとって点字も革命でしたが、パソコンのおかげで完全に自由になりました。文字で自由にコミュニケーションがとれるようになった。世界が変わったんです」

 今、アブディンさんには新たに書きたいテーマがある。

「難しいでしょうが、ぼく自身が経験した戦争のこと。そしてこの30年を振り返って、スーダンの挫折と希望を、一冊の本にまとめたいと思っています」

(ライター・矢内裕子)

AERA 2021年7月5日号