“ドーハの悲劇”から29年。日本代表は幾度となく世界の高い壁に跳ね返されてきた。強豪ドイツを倒して期待が高まるが、その歴史を振り返ると、決して番狂わせではないといえる。
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「ここをしのいでほしい……」
実況のアナウンサーが大きな声で叫ぶ。7秒後、ボールはゴールに吸い込まれ、イラクに2-2の同点。アメリカ大会への夢が潰えた。1993年のドーハの悲劇である。
「前年にアジアカップで優勝したのでいけると思いました。W杯への遠さを実感しました」(現地で観戦したサポーター)
この年の5月、Jリーグが開幕し、日本サッカーの新しいページが開かれた途端の出来事だった。
それから4年後、フランス大会のアジア予選、岡田武史監督が率いる日本代表はイラン代表とのプレーオフに進出。その延長後半13分、岡野雅行がゴールし、3-2で劇的勝利した。「ジョホールバルの歓喜」で初出場を決めた。本戦のジャマイカ戦で中山雅史が日本人W杯初ゴールを決めるも、3戦全敗と世界との差を痛感させられた。
元週刊サッカーダイジェスト編集長でサッカージャーナリストの六川亨さんが振り返る。
「選手、スタッフ含め、日本人の誰もが初めての経験を積めたことが非常に大きかった。日本は2002年大会の開催国として決まっていて、開催国はグループリーグで敗退しないというジンクスがあった。この重圧に立ち向かうためにもこの経験は大きかったです」
初めての母国開催となった2002年。開催国枠で出場した日本は、ベルギー、ロシア、チュニジアと同じ組に。
フィリップ・トルシエは「フラット3」というディフェンス3人を一列に並べる戦術を取った。初戦のベルギー戦で鈴木隆行らがゴールを決め、引き分けで勝ち点1を獲得。ロシア戦、チュニジア戦はともに勝利し、決勝トーナメント進出を果たす。1回戦でトルコに敗れたが、日本サッカーは大きく前進した。