50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「店の経営」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。
* * *
俺が47~48歳のときに「プロレスもだいぶやったし、そろそろサイドビジネスをしたいな」と思って店を始めたんだ。それが、東京都・世田谷区の桜新町で1997年~2009年までやっていた「鮨処しま田」だ。
店を借りた当初は焼肉屋をやろうと思っていたんだけど、大家さんから「焼肉屋は煙が出るからダメだ」と言われてしまってね(「しま田」が閉店した後、そこは焼き鳥屋になった。煙が出るじゃねーかよ!)。それで銀座で寿司屋をやっている人に相談したら、寿司屋をやってみたらと勧められたんだ。
それで、今度は回転寿司をやろうとしたんだけど、その人に「天龍源一郎が回転寿司はカッコ悪いだろう」と言われてね。協力を得て「世田谷で銀座の味が食べられる」というコンセプトで寿司屋を始めたんだ。
店の自慢は白木の一枚板のカウンターが2枚あって、銀座の寿司屋が仕入れるようないいネタを出していたことだ。当時、店があった街には家族経営の寿司屋が多くて、宴会や家族連れでゆっくりできる店が少なかったから、うちは70席以上ある広い店にして、ここで銀座の味が楽しめる店にすれば、世田谷だし、お客さんもいっぱい来てくれるだろうと思っていた。
ところが、この辺の人は銀座をはじめ都心でご飯を食べてから家に帰ってくる人が多いもんで、なかなか思惑通りとはいかなかった。口が肥えているからいいものを出せば来てくれるだろうと思っていたが、それは都心で食べて、近所で食べるのは手ごろな値段の店がいいということだ。ここで、ちょっと俺の経営理念と乖離(かいり)があったね。