その調整や見極めも難しいし、特に腕のある職人はそれなりにお米(給料)も取っている上に、手に負えないのが多かったなぁ。多いときはつけ台で握れる職人が5~6人とその下に3~4人で10人ほど従業員として雇っていたからね。職人同士で徒党を組むし、嫌なことがあると「辞める」「じゃあ、お前が握ってみろよ」なんて言って、こっちも職人に辞められると困るからね……。
仕入れにしても、自分で金を出すわけじゃないから値段交渉もしないでホイホイ買ってくるし、常連さんが来ると「これ、うちからのサービスです」っていろいろ出すけど、その金を払ってるのはこっちだろう! って思うこともよくあった。
お客さんとしゃべってるだけで、今日出したいネタを勧めなかったり、逆に全然お客さんとしゃべれなかったり。寿司屋の評価は板前次第だし、その板前も誰に当たるかで印象が全然違う。お客さんにとっては板前=店だもの。俺も人を店に連れてくるときは「この板前がいい」という人もいたからね。板前をうまくコントロールするのは難しいし、「もっとこうしてくれよ!」と、もどかしい思いもいっぱいしたよ。
そんな職人を相手にするのは女将である女房だったんだけど、彼女は大変だったろうね。女房のアイデアで当時の寿司屋では珍しかったサラダをメニューに載せたんだ。これは「鮨処しま田」のヒットメニューになったんだけど、女房が「店でサラダを出したい」と言ったときは職人が「寿司屋でサラダなんか出せるか!」と反対したし、店を出すときに相談した人も「寿司屋でサラダは……」なんて言っていたからね。でも、その3年後にはその人の銀座の店でもサラダを出し始めたから、こっちは「なんだよ!」だ(笑)。
同じようにランチも女房の発案で始めたときも、職人たちは猛反発。自分たちが忙しくなるからね。でも、このランチで出していたネギトロ小丼とうどんのセットも大当たりだ。近所に勤めている人たちがいっぱい来てくれて、ランチ時は70席の店が2~3回転していて「この街にこんなに人がいたのか!?」と思ったほどだ。