ランチはほとんど女房と娘が対応していたから、彼女らはいまだに「地獄だった」と言うけど(笑)。他にも、マグロやその日のネタを刻んで、オクラや納豆と合わせて特製のタレをかけた「パワー丼」も人気だったね。素人のアイデアもヒットにつながることは多いんだよ。
そうそう、娘がよく出前の配達をしていたんだけど、寿司屋の出前はほとんどが男だろう? 出前先で受け取るのはその家の奥さんが多いから「女の人が来てくれて嬉しい」と評判だったんだ。最近はデリバリーをやっている店も多いから、少し参考になるんじゃないかな。
いろいろなアイデアを出したり、接客で店を切り盛りしていた女房だけど、店を始めて4~5年経ったころ、急に「私は魚の生臭い匂いが大嫌いだ!」と言い出して、驚いたこともあった。寿司屋を始める前に言ってくれよ……。女房は少しでも魚の匂いがしないように掃除を徹底していたから、うちは寿司屋独特の魚の匂いが一切しなかったんだ。寿司屋の女将が魚の匂いが嫌いなんだもの(笑)。
店を切り盛りしていた女房の負担も大きくなって、2009年11月のある日、女房が突然「よし、店は今年でやめよう!」と言い出した。意気に感じない職人たちに女房がギブアップした形かな。俺も女房が頑張ってくれていたのは知っていたし、覚悟はしてたけど、それでもあまりに突然だった。
そんなんだから、最後の1カ月は「13年間で来てくれたお客さんが全員来てくれたんじゃないか」というぐらい大忙しだった。店で使っていた湯呑や皿も「ご自由にお持ちください」って店の外に出していたら、それも大盛況だ。自慢の白木のカウンターも処分してしまったが、今にして思えば小さく切ってサインを入れたり、下駄にしたりして売ればよかったよ、もったいない(笑)。
こうして「俺の引退後に食い扶持を稼ぐための店」を閉めたわけだが、このことが後の「天龍プロジェクト」設立につながるんだよね。あのまま店を続けていたら娘も天プロの代表ではなく、寿司屋の代表になっていだろうなぁ。