元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 阪神大震災の時、神戸に住んでいた。なのにあれから28年「も」経ったのかと思ってしまうのは、忘れてはいけないことをいつの間にか忘れてしまっているのではないかと後ろめたくなり、慌てて当時のことを思い返してみる。

 早朝の一瞬の揺れで魔法のように全てが変わってしまったこと。明るくなって恐る恐る外へ出てみれば、美しい街は瓦礫の集合体で、ところどころから火も出て、でもそんなことが起きているのにとてつもなく静かで、水が出ないから放水もなく人気もなく、そんな嘘みたいな街を歩き回ったこと。同じく呆然とする人たちを前に、新聞記者なのに何一つ取材できなかった(何を聞いていいか全然わからなかった)。瓦礫の下には人が埋まっていたのだと気づいたのはずっと後で、何もせず命を見殺しにした自分に何かを伝える仕事などできるはずもなく、しばらく死人のように着替えもせず過ごした。

 何よりも、あの時はこれからどうなるのか全くわからなかった。自分も、街も、ここから立ち上がれるのか、いや立ち上がったとしても元にはきっと戻れない。一体自分達が何をしたというのか? そのことが悔しくてつらくて、暗い怒りを抱え続けていた。

 で、確かに被災地が「元に戻る」ことはできなかった。亡くなった人は生き返らず、心身の傷は薄れたとて消えはしない。崩れた建物は建て替わっても元の建物とは違う。バラバラになった人が何事もなかったかのように再び一緒になることもない。

 でも一つ言えることは、元には戻れずとも皆生き続けたということだ。あのことさえなければと思わぬ日はなかったとしても、あのことがあったからということを少しずつ積み上げて今を生きている。

 これからどうなるのかわからなくとも人は生きていく。生きていくしかないのである。そしてなんとか生き残っていければそれを「幸せ」というのだと気づくことが本当の幸せなんじゃないだろうか。そう私は今幸せである。この幸せを大事にすることが生き延びた私の仕事なのだ。

◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

山形へ講演に伺ったら控室にスタッフお手製のサクランボの漬物! 美味!(写真:本人提供)
山形へ講演に伺ったら控室にスタッフお手製のサクランボの漬物! 美味!(写真:本人提供)

AERA 2023年1月30日号