NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公で「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一。渋沢家五代目の渋沢健氏が衝撃を受けたご先祖様の言葉、代々伝わる家訓を綴ります。
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渋沢栄一は91年の人生を全うし、最後まで老骨に鞭を打っていた姿が伝記資料に鮮明に表れています。
亡くなった1931年の年譜には、国家同士の対立が高まっているところ、複数の米国の識者との親善交流の記録が掲載されています。市民一人一人のお互いへのリスペクトが二国間の関係構築で大事であると栄一は考えていたのでしょう。
また同年の9月6日には中華民国水災同情会会長として「中華民国の水害に就て」と題する講演を飛鳥山邸の病床から放送しています。募集した義金は9月17日に上海まで届きましたが、満州事変が18日に起こり、中華民国政府が受取りを拒絶したようです。
栄一が永眠したのは2か月後の11月11日でした。
前年の1930年11月8日には救護法実施促進委員会の主要メンバーが栄一の力添えの要望に訪ねてくる記録が残っています。社会における困窮者の公的救済を国と地方自治体に義務付ける「救護法」は1929年に制定されたのに関わらず、政権交代で政府が財政緊縮に転じ、棚上げ状態になっていたのです。
訪問者たちが訪れたときに栄一は風邪で寝込んでいましたが、栄一は面会に応じ、「老いぼれの身でお役に立つわかりませんが」と大蔵大臣と内務大臣に面会申込の電話をして、外出する支度をしました。
熱ある老人が冷たい風が吹く11月に外出することに家族や主治医は反対しましたが、「この老いぼれが平素養生しているのは、こういうときの役に立ちたいからだ。これで私が死んだとしても、20万人もの不幸な人たちが救われるのならば本望だ」と出かけました。救護法は栄一が亡くなってからおよそ2か月後の1932年1月1日から実施されます。
栄一は『論語と算盤』の「精神老衰の予防法」でこのような考えを示しています。