※写真はイメージ/Gettyimages
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 私はこの新聞記事が気になった。新聞記事のなかに、江尻少年が自殺したのは、「寂しいので泣いている。彼女もできない。いなかに帰りたい」などの走り書きがあり……という一節にも関心を持ったが、それより江東区のアパートの一室に住み、そこに遺書が置かれていたというのを知ったからだった。

 そのころ私は、ある老人の生き方を追いかけて、江東区のアパートを訪ねては取材していた。貧相なアパートであった。ドアをあけると4畳半の部屋のまんなかにコタツがあり、あとはピンク・レディーや西城秀樹らのポスターが壁にはってあった。それが不自然であった。孫のような歌手たちの笑いのなかで、老人はテレビを見ては、一日をすごしていた。

 江尻少年の自殺を新聞記事で読んで、私は陽当たりの悪い部屋でテレビにかじりついている老人を思った。もし少年であれば、あんな環境には耐えられぬだろうと思った。江尻少年が作業現場に寝泊まりしていたのなら、私の関心をひかなかった。しかし江東区の陽のあたらないアパートの一室で、「寂しいので泣いている」少年の像は、あまりにもむごい感がする。

 昭和54年4月、サンケイ新聞は、少年の自殺をとりあげた。たまたまこの企画のなかで、江尻少年がとりあげられた。そこで私は、彼がのこしていた冒頭の遺書の詳しい内容を知った。中学生時代の同級生に宛てたものという。

「おれは今、レコードをききながら泣いている。これからはどうやって生きていいかわからない」

 この一節は、大仰にいうなら、深遠をつくことばである。レコードをきいているうちに、己れのいまがなんとも空しくなるというのは、しばしばあることだ。そんな経験はだれにでもある。しかしだれもがそれに耐えている。そういう経験をとおして、私たちは成長していく……。

 16歳の少年が、なぜ死んでいかなければならなかったのかを追いかけていくと、そこにはこの時代がかかえているあらゆる問題がひそんでいることに気づく……。この少年は時代に押しつぶされた犠牲者だということがわかってくる――。

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「レコードをきいて泣いている」少年にはこの社会の二重の残酷さがある