思うに、少年は、4畳半の部屋でなんどもなんどもLPをかけていたのだろう。それをききながら、彼は泣きつづけている。なんのために……なぜ自分が生きているのか、生きつづけるのか、それをたしかめようとする。そのことを知ろうと希求する。しかし彼にはそれがわからない。16歳、彼の年齢の90%はまだ高校1年生である。
<もうすぐ春ですねえ>をきいて泣きつづける少年。夜、地下鉄工事で地下10メートルの地底にもぐり、そして昼はアパートにかえってキャンディーズのレコード。そのくり返しに、こんどは初めの職場、電機会社の単調さとちがう耐えられなさを見つけていただろう。
だが地下鉄工事もまた永遠の彼の仕事になりうるかどうか。都会の喧噪をぬうように、都会が寝静まると同時に、地下にもぐっていく生活。周りにいるのは30代か40代の男たちばかりだ。少年はまだ一人前でない。労働の意味もしらない。屈強な男たちが工事の基本ともなるべき土砂運びをし、重いコンクリートを運んでいるとき、筋肉もかたまっていない少年はどぎまぎしているだけだ。仕事の邪魔にさえなりかねない。
少年は故郷を思う……そこに友人もいる。肉親もいる。しかし彼を受けいれる職場はない。
3月10日すぎ、彼の姿が工事現場から見えなくなった。ここにきて40日を経たときだ。心配した叔父は、捜索願をだす。まだ子どもだから仕事もあきっぽいのだろう、どこかで遊びあるいているのかもしれん――しかし4畳半をしらべてはじめて遺書をのこしているのを知る。
遺書はLPのレコードの上にのせられていた。
姿が見えなくなってから1週間後、彼の姿は水槽のなかから発見される。彼の働いていた職場の一角にある水槽であった。カーキ色の作業衣と長ぐつ姿。ズボンのポケットに、11000円と25円の硬貨があった。中学時代の友人に宛てた遺書、それに女性の友だちに宛てたらしい手紙が投函されずにあり、それらが、彼の遺志をはかる、のこされたすべてであった。