松田聖子とSMAP。
ソロとグループという違いはあっても、ともにビッグアイドルだ。
が、共通点はそれだけではない。どちらも音楽シーンの節目に登場して、新たな流れを作った。大げさにいえば、ジャンルの分断を防ぎ、統合するという大きな功績を残したのだ。本稿ではそれをわかりやすく説明してみたい。
まず、聖子のデビューは1980年。当時、アイドルは終わったと言われていた。その根拠は、70年代後半に起きたニューミュージックブームだ。
たとえば、79年のオリコンチャート。幕開けこそ、ピンクレディー最後の1位曲「カメレオン・アーミー」が首位に立ったが、年間で見れば、約3分の2の週の首位がニューミュージック系の曲だった。特に7月以降は、さだまさし、桑名正博、久保田早紀らで首位を独占。この状態は翌年も続き、クリスタルキング、海援隊、シャネルズ、もんた&ブラザーズ、長渕剛らで9月まで歌謡曲系の首位を許さなかった。
78年の「NHK紅白歌合戦」ではこうした状況に対応すべく「ニューミュージックコーナー」を特設。庄野真代やさとう宗幸ら6組が登場した。また、ゴダイゴ、アリス、甲斐バンド、サザンオールスターズなども人気だったし、ロック御三家というアイドル的存在も現れた。そのかわり、石野真子や榊原郁恵が最後のアイドルと呼ばれていたものだ。
いわば、職業作家の提供するものを歌う歌謡曲系より、自分で作詞作曲も行うニューミュージック系のほうがオシャレでカッコいい、というイメージが広まりつつあったのだ。それゆえ、80年代はそんなシンガー・ソングライター、自作自演の時代になると予想されていた。
しかし、予想に反し、空前のアイドルブームが到来することに。その最大の立役者が聖子だ。2カ月後にデビューした田原俊彦とともに、音楽シーンの空気を一変させた。
ちなみに、ニューミュージック系のオリコン1位曲独占状態を阻止したのは田原の「ハッとして!Good」だが、これが2週続いたあと、聖子の「風は秋色」が首位に立ち、5週間独走。ここから彼女の24作連続1位という大記録が始まる。