実際、彼はこんな発言もしている。
「松田聖子という存在は、ニューミュージックと歌謡曲の間で生み出されたアイドルなんです」(「語れ!80年代アイドル」)
それを言うなら、Jポップというのも歌謡曲とニューミュージックが融合して生まれたものだ。Jポップが絶頂期を迎えていた96年に、聖子が自作自演による「あなたに逢いたくて」を大ヒットさせられたのも、彼女がそれ以前からJポップ的要素を持つ存在だったからだろう。
そんな96年、音楽シーンの中心に躍り出ようとしていたのがSMAPだ。
こちらは結成が89年で、CDデビューが91年。当時もまた、アイドルのブームが去り、歌番組も減少して、アイドルは終わったといわれていた。高橋由美子あたりが最後のアイドルと呼ばれていたものだ。
そんななか、彼らはバラエティーやドラマで人気と実力を高めていく。音楽的には、筒美京平や馬飼野康二といった歌謡曲のベテラン職業作家のもとで出発しつつ、93年からは林田健司、庄野健一、小森田実といったニューミュージック系の作家と組んで「$10(テン・ダラーズ)」「がんばりましょう」「SHAKE」などをヒットさせた。サウンドとしては、Jポップの特徴ともいえるファンキーなグルーブ感を取り入れ、録音にも国内外の一流ミュージシャンを呼ぶなどして、いわば「アイドルの顔をしたJポップ」を作り上げたのである。
もっとも、同時期のJポップにはビーイング系や小室ファミリーがいて、主流争いをしていた。アイドルのSMAPはあくまで傍流であり、肩身が狭そうな印象も受けたものだ。
しかし、97年に「セロリ」98年に「夜空ノムコウ」をヒットさせたことで見方や存在感が変わる。山崎まさよしやスガシカオというJポップの実力者とコラボして、成果を出したことがそのステイタスを上げることにつながったのだ。
このコラボ路線がもたらした最大の収穫が「世界に一つだけの花」であるのはいうまでもない。2003年にシングルとしてリリースされ、平成最大のヒット曲となり、音楽の教科書にも掲載された。