撮影:山口梓沙
撮影:山口梓沙

「私は内省的というか、内にこもるタイプなので、『共感するな』『分かるな』、というものを撮っている。だから、写ったものは自分にものすごく近いという感覚がある」と言う。

「自分の粘膜というか、内臓みたいなもの。それを、ギャラリーという公共の場に展示して、たくさんの人に見られ、いろいろ思われる、というのは、すごく無防備で、恥ずかしいし、冷や冷やする。そんなふうに思っています」

■撮れるときに何でも撮る

 展示作品は「東京の自分の生活圏内で撮った、身近なもの」。

「撮れるときに、何でも撮る、という感じで、あまり考えない。でも、こうやって見返すと、植物を撮ることが多いですね。枯れたもの、みずみずしいもの。折れたのも生々しい。水にも引かれます。それと親近感を覚える身近な人。同世代の女友だちとか、おじいちゃんとか」

撮影:山口梓沙
撮影:山口梓沙

「被写体は、そのときの気分にあったものとかで、撮影は感覚的」と説明する一方、写真を選ぶ際には、「撮れている、撮れていない、という感覚が自分の中にはっきりある」と言う。

 そうやって選んだ写真は、ひとまず「撮れたフォルダー」に入れて、ためていく。

「それで、たまにフォルダーの中をばーっと見返して、ああ、最近撮れているな、とか、こういうのはよく撮っているな、みたいなのを確認します」

 フォルダーの中から写真を取り出し、洗練させていくのは、それをまとめて作品にするとき。

「うーんいいな、撮れたな、と思った写真を寄せ集めていく。組み合わせや前後の関係で選んだり。重要だな、と思う写真をピックアップして並べていくなかで、なんとなくテーマみたいなものが出来上がっていく」

 その過程で「いらないな、と思うものを消したりとか、けっこうします。『ここを見ている』という感じで、ぐっとトリミングしたり」。

■繰り返し現れる祖父の姿

 そんな編集作業を繰り返しながら、「断片のイメージ」をつくっていく。

「固有名詞的なものはなくして、いつ、どこで、誰が、みたいなものをあまり感じさせないようにしています。その断片と断片がお互いに響き合う、というか、断片がたくさん連なることでひとつの大きなものが立ち上がってくる。それがすごく面白い。それが私がやりたいこと。今回の写真展では、それが最小の枚数でできたらいいな、と思っています」

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