たとえば三島の遺作である『豊饒の海』4部作を「能の『五番能』の形式に基づいている」と看破する。主人公が生まれ変わる「輪廻(りんね)転生」をモチーフとする連作だが、鬼などをシテとする5番目の「切能」に当たるのは三島自身の切腹であった。「我を見よ」とばかりに腹を切った三島は永遠に生き続ける鬼神であろうとしたのだという説は慧眼(けいがん)である。舞台回しとして4部作に登場する本多繁邦はいわば「ワキ方」。「能」というフレームを通してみると、まったく新しい世界が出現する。

「本来人間には目に見えないものを見る力が備わっていると思うのですよ。でも現代は忙しすぎて、その力が発揮されない。『目』という器官が邪魔になるんじゃないかと思うくらいです。僕の祖母の一人は盲目でしたが、たいへん勘が鋭くて、白杖(はくじょう)なしでもその辺りを歩いていました。子どもの頃から祖母にはすべてを見透かされるような気がしたものです。殷(いん)の時代の楽師は目を潰されたといいます。欠落によって別の能力を獲得させるのです」

 安田さんは、舞台の仕事や執筆活動のほか、引きこもりの人たちや精神科医とともに『奥の細道』を歩く旅も実行してきた。そこでは自然の中を歩きながら俳句を詠むが、旅から帰ると多くの人は引きこもりをやめるという。

「みんな、自分がはまり込んでいた世界とは別の世界があると気づくのです。芭蕉と同じですよ。すぐ横にもう一つの世界があるということです」

 見えなかったものを思いがけず発見する。その効用が読書にもあるはずである。

(ライター・千葉望)

AERA 2021年11月15日号