◆人としてでなく女としての規範
「儒教的家族主義では親孝行こそが美徳。成人しても社会参加できない子どもは、ホームレス化しないで家に残ります。これが日本では『引きこもり』なわけですが、女性の場合は『家事手伝い』という名で表向きは隠蔽(いんぺい)されてきた。さらに親世代の長寿化で、親子共存の時間がどんどん長くなり、娘が還暦近くなっても母の呪縛から逃れられないケースが増えています。母たちは果たせなかった夢を娘に託して『生き直そう』とする。そのくせ結婚して家族を持てと無理なプレッシャーをかけるのです」
そうなると、母(2)のキャリアウーマンの母親と、娘(2)の専業主婦志向の母親、一体どちらが娘にとってしんどいのだろうか。
「何をもって女性の幸せと考えるかによるでしょう。高収入の夫を捕まえろと刷り込む母親は娘の自立を妨げる。その点、働く母親は自立したい娘にとっては楽なはず。ただし、その母親が自分のキャリアで挫折感を味わっていた場合、話は複雑です。『本当ならもっと活躍できたはず』と、結局は『生き直し』を求めてしまい、支配的になるリスクがあります」
団塊の世代の問題点については信田さんとは違う視点からの指摘もある。
「団塊世代は戦後の民主教育の中で建前(男女平等)と現実(男尊女卑)の落差に翻弄(ほんろう)されてきました。ねじれた社会を生き延びようと必死で磨いたスキルが、ゆがんだ形で娘に伝わってしまっている。『稼ぎのいい男性を捕まえなさい』という価値観はいまだ根強く、娘たちは人としてではなく女として育てられる。持ち物の色や着る服のデザイン、しぐさ。そうしたもので『女らしさ』を植え付けられ、本人の思いとは別の規範にはめ込まれるんです」
こうしたゆがんだ価値観の継承が、無意識に行われているところが恐ろしいのだ。
「買い物中、品物を選択する場面でふと『お母さんならどっちを選ぶかな』と考えてしまう。それがパートナー選びのときに発動してしまったらどうなるか、ということです」