9年連続ゴールデングラブ賞、侍ジャパンの一員として東京五輪で金メダルと縦横無尽の活躍だった広島カープの二塁手、菊池涼介選手(31)。一方で広島はセ・リーグ4位と優勝を逃し、自身も新型コロナウイルスに感染し、チーム離脱を余儀なくされた。終盤は骨折しながら試合に出続けた。波乱万丈の1年間をAERAdot.の独占インタビューで語り尽くした。
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――今年もコロナ禍のシーズンでした。その中で東京五輪が開催され、メンバーに選ばれ、金メダルを獲りました。
「これまで2017年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)や2019年の第2回WBSCプレミア12で日の丸のユニフォームで戦いました。しかし、五輪のユニフォーム、日の丸は比べ物にならないくらい重かった。すごい重圧でした。野球が五輪で復活できたのは、東京開催という部分も大きかったはず。他の競技とは違い、次は五輪種目に野球が選ばれるか、わかりません。地元開催で、絶対に金メダルしかないとチームのみんなの目の色がかわっていた」
――7月28日の初戦は福島県郡山市でのドミニカ共和国戦。9番セカンドでの先発出場でしたね。試合はサヨナラ勝ちでハラハラドキドキでした。
「予選の1試合目で相手はドミニカ。周囲からは『日本、楽勝だ』なんて声が聞こえてきた。選手はまったくそんな気持ちはないのですが、どこか隙があったのか、なかなか打てなくて、7回表に先制点をとられ、9回表で3対1と2点差で負けていた。坂本勇人先輩(巨人)の一打でサヨナラ勝ちでしたが、国際試合の怖さを思い知らされました。それでも勝てたので、チームも盛り上がり、一気に突っ走れた。ひとついえば、東京五輪の予選3試合は開始時間が昼12時でした。シーズンならデーゲームは午後2時くらい開始です。昼12時は二軍の試合開始時間で、ちょっと調整が難しいところがあったのは事実ですね」
――東京五輪で使用するボールや無観客などいつもと違う環境がありました。戸惑いはなかったですか?