愛する家族とともに。創業以来、文登は岩手、崇弥は東京で生活し2拠点で活動を続けている。「毎日のように電話してるから距離は感じません」(文登)(写真=横関一浩)
愛する家族とともに。創業以来、文登は岩手、崇弥は東京で生活し2拠点で活動を続けている。「毎日のように電話してるから距離は感じません」(文登)(写真=横関一浩)

 入社当時の崇弥のことを「よく先輩から叱られていた(笑)」と振り返る小山だが、いつも話していたことがあると言う。

「君には人から愛される能力がある、と。彼の考えの中心には『他者を理解したい』という軸があるんです。全てのことを謙虚に受け止めて、そこからどんな気づきを得るのか。そこに崇弥の企画の原点があると思うよと話していました」

 一方、文登は東北学院大学の共生社会経済学科に進学。卒業後は岩手県の大手ゼネコンで住宅事業の営業職に就いた。配属された大船渡市は、3年前に起きた東日本大震災で壊滅的な被害を受けた地域だ。文登は避難所や仮設住宅に足を運び、補助金申請などを手伝いながら家を失った人々の生活再建に奔走した。

 住宅事業部の先輩だった株式会社タカヤの八重樫弘は「彼は人を惹きつける才があった」と話す。

「松田君が人の悪口を言っているのを聞いたことがありません。どんな人とも明るく分け隔てなく接するので、皆ファンになっちゃうんです。『今度いい営業マン紹介するよ』って、お客さんが別のお客さんに紹介してたなんてこともありました」

 それぞれの道を歩み始めた2人に転機が訪れたのは、2016年の夏のことだ。

「突然、崇弥から電話がかかってきたんです。『めちゃくちゃすごいものを見た!』って」(文登)

 お盆に帰省した崇弥は、母親に誘われて花巻市にあるるんびにい美術館を訪れた。そこで出会ったのが、障害のある人々が描いたアート作品だ。

 佐々木早苗がひたすらボールペンを走らせて描いた無数の円。八重樫道代がブラシマーカーで描いた画面にひしめく形と色彩。生の衝動がほとばしる作品に圧倒された崇弥は、思わず文登に電話していた。今ここにある感動、美しさを、何かの形にパッケージして届けられないだろうか。

「当時、『障害 アート』で検索すると、社会貢献や企業のCSR活動のサイトばかりが出てくる状況でした。でも僕が感動したのは、障害がある人が描いたからじゃない。『障害=支援』という文脈ではなく、純粋なアートとして評価される見せ方ができないだろうかと考えました」(崇弥)

(文中敬称略)

(文・澤田憲)

※記事の続きはAERA 2022年10月24日号でご覧いただけます。

暮らしとモノ班 for promotion
台風、南海トラフ地震、…ライフライン復旧まで備える非常食の売れ筋ランキング