処刑寸前に追い込まれ
エリザベスは母を殺した父によって庶子の身分に落とされたり、その父を恨む姉によってロンドン塔に拘束されて危うく処刑されそうになったり、若年のころから権力闘争と宗教戦争の恐ろしさを痛感していた。そのために、英国国教会を重んじながらカトリックや清教徒に対する厳しい弾圧は行わず、ドイツや北欧のプロテスタント諸国、カトリックのスペインやそのライバルであるフランスと等距離外交を展開。また女王の配偶者を狙って近寄ってくる貴族たちや諸外国の王族を「私は国家と結婚しています」といって適当にあしらい生涯を独身で通した。その間、フランスにおける新教徒と旧教徒の内戦、スペイン無敵艦隊の襲来など何度も危機があったが、宰相バーリー卿ウィリアム・セシルや海賊出身の名提督フランシス・ドレーク卿などの活躍でこれを乗り越え、英国ルネサンスの最盛期を築いた。
筆者の好きな古楽の世界では、ウィリアム・バードやジョン・ダウランド、アンソニー・ホルボーン、トマス・モーリーなどの作曲家が輩出し、文学の世界では英国史上最大の劇作家ウィリアム・シェイクスピアが活躍したのがこの時代である。
しかし。
「処女王」の称号を守るために生涯結婚せず、エリザベス1世の没後にはライバルだった遠縁のスコットランドのメアリー女王の長男ジェームズ6世(英国王としてはジェームズ1世)を後継に迎えざるを得なかった。
エリザベス1世の偉大な生涯は当然ながら、伯父エドワード8世の退位(有名なシンプソン夫人との恋のために王位を放棄)、そして父ジョージ6世の早逝によって、25歳で王位につかざるを得なかったエリザベス2世に影響を与えたに違いない。しかし、エリザベス1世の寂しい晩年に比べると、多くの子供たちや孫たちに囲まれて最期を迎えたエリザベス2世は幸せだったかもしれない。
チャールズという名の国王
さて、母の死を受けて即位した新国王チャールズは、その名を冠するイングランド国王(スコットランド国王としても)3代目である。面白いことに国によって王様の名前に好みがあるようで、フランスでは聖ルイ王(ルイ9世)以来、ルイが多い。太陽王ルイ14世が有名だが、その曽孫でロココの遊蕩児ルイ15世、フランス革命に非業の死を遂げたルイ16世、そしてその弟のルイ18世まで18人もいる。