崩御されたエリザベス女王2世(アフロ)
崩御されたエリザベス女王2世(アフロ)
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『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は、英国での“二人”のエリザベス女王について「診断」する。

【壮絶な生涯を遂げたエリザベス女王1世】

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 9月8日、英国女王エリザベス2世が崩御された。20世紀から21世紀、激動の連合王国を統治した偉大な君主に追悼を申し上げたい。古くから英国は女王が統治すると発展するといわれてきた。その意味で最初に思い浮かぶのは19世紀、大英帝国の最盛期に君臨したヴィクトリア女王であろう。そして次に思い浮かぶのは16世紀にイングランドをヨーロッパの強国の地位に引き上げたエリザベス1世である。

二人のエリザベス女王

 名は体をあらわすというが、心理学的に人は与えられた名に見合った振る舞いをすることが知られている。我々医師や大学教員には古風な名前の持ち主が多く、映画監督や芸術家には少し変わった名前が多いという研究があるが、出身階級や家庭の教育に加えて、与えられた名にふさわしい行動をとろうと無意識のうちに努力しているのかもしれない。故エリザベス2世の場合、同名のエリザベス1世が名君だっただけに直接の血のつながりはないとはいえ、何らかのプレッシャーを感じていたであろう。

 エリザベス1世はテューダー朝2代目、英国ルネサンスを代表する名君かつ暴君であるヘンリー8世の次女として生まれた(1533年)。最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンに男児が生まれないことに業を煮やしたヘンリー8世がカトリック教会と決別して離婚、再婚したアン・ブーリンとの第1子であったが、その後も男児は生まれず、父王は2番目の王妃に姦通の濡れ衣を着せて処刑してしまう。その後も王妃たちに理由をつけては離別や処刑を繰り返し、都合6人の王妃との間にエリザベス、エドワード、メアリーの3人の子をもうけた。

 ヘンリー8世の後を継いだ王子はエドワード6世として即位するが、生来病弱で、結核(一説には先天梅毒)により15歳で死去、そのあとを継いだメアリは愛する母が離婚されたことを恨んで、カトリックに復帰するとともにプロテスタントを徹底弾圧、「ブラッディ・メアリー」という悪名を残した。母方の親戚スペイン王太子フェリペ(のちのフェリペ2世)と結婚するも子には恵まれず42歳で死去。やっとエリザベスに王位が回ってきた。

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拘束され、処刑寸前に…