サントリー美術館の学芸員柴橋大典(しばはしだいすけ)は、山形県の出身、東北大学で美術史を専攻した。東北地方の美術や文化を学芸部内でプレゼンした時、何気なくこんな言葉を口にしていた。
「陸奥(むつ)は、古来歌枕の地として知られ……」
すぐさま他の部員から質問が飛んだ。
「歌枕とは何か?」
柴橋は、立ち往生してしまった。「和歌に詠まれた土地」以上の説明ができなかったのである。
歌枕は、単に和歌に詠まれた土地というものではなかった。旅すること自体が難しかった昔の人々が、その地に思いを馳せることのできる言葉だった。例えば「吉野山」という歌枕であれば、人々は桜を、「龍田川」であれば、紅葉(もみじ)を色彩とともに思い描く。
それは和歌だけではない、硯箱、櫛、箪笥といった工芸品に、桜や紅葉や橋が彫刻され、決して自由に旅のできなかった中世の人々の「憧れ」をつのらせた。
近代短歌の成立とともに、和歌のこうした枕詞は、「形式的」と捨て去られていったが、しかし、これは、古今和歌集の成立した平安前期から江戸時代まで、700年以上脈々と日本人の間に受け継がれてきた豊かな精神世界だったのではないか?
どうしたらそこにいけるのだろうか?
失われてしまったかつての人々の思いを、展覧会にすることができないだろうか? そう柴橋が考えて、調査を始めたのが、コロナ禍が始まる前の2019年のことだ。
8月28日まで、東京ミッドタウンのサントリー美術館で開催されている展覧会『歌枕 あなたの知らない心の風景』。私は二度通って、様々なことを考えてしまった。
ノンフィクションの作品でよくあるパターンは、有名な人物の評伝だ。しかし、自分はそれを読むのはあまり好きではない。少なくとも自分で書く気はしない。売れ行きも評価も、著者の力量ではなく、結局は、その書かれた評伝の人物のものだという気がするからだ。
かつて同僚だった直木賞作家の白石一文さんが編集者時代、こんなことを言ったことがあった。