一般公開されたカンカンとランラン、黒山の人だかりができた
一般公開されたカンカンとランラン、黒山の人だかりができた

「当時、パンダを見るためにみんなが上野動物園へ行った。大行列で、2時間並んで見られるのは数十秒。ろくに見られなくてもみんなが高揚していたのは、社会的行事に参加しているという意識があったからでしょう。その経験をした人たちが親となって、子どもを動物園に連れていくと、同じパンダではなくても自分の物語を話せるんです」

 それが子どもの記憶に残り、また物語をつくっていく。当時のフィーバーは今や、単なる「歴史的事実」かもしれない。それでも高揚の中にあった人々の「集団的な記憶の中の動物」という要素が今でも生きている。

「私が園長に就任したのは2011年、東日本大震災の年です。この年、来園者数が前年からはるかに増えたんです。2月に、3年ぶりにパンダ(リーリーとシンシン)が園に来たということもあるのでしょうが、それだけではないと思っています。災害後の浮かれてはいられない空気の中で、家族で気晴らしにどこかへ行きたくなる。『絆』が大事な言葉になった年で、家族で会話ができる動物園が選ばれた。これもまた物語だと思うんです」

 冒頭の“悲劇”はその翌年。悲しみを乗り越えるべく挑戦は続いた。

 パンダは繁殖が難しいといわれる。発情期がいつ訪れるかわからず、メスが妊娠できる状態にある発情期のピークは1日か2日だけ。

 17年2月末、シンシンに発情が見られ、飼育担当者らは自然交配に向け、竿やホースを持って臨んだという。

「発情期を見極めて2頭を会わせるために、飼育員がパンダ舎の上のキャットウォークから指示するんですが、タイミングを間違えて下手に会わせると、けんかしてしまう。そうなるとトラウマのようになってしまってメスが逃げてしまうんです。竿やホースはけんかになったときにお互いを離すための準備です」

 シンシンの様子を見ながら、慎重に扉を開けて2頭の距離を縮める。

「飼育員がシンシンのお尻をつつくと尾を上げたんです。これは交尾を受け入れるだろうと、リーリーを会わせたんです」

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