土居利光(どい・としみつ)/1951年生まれ。東京都庁入庁後、東京都環境局生態系保全担当、多摩動物公園園長などを経て、2011年に上野動物園園長に就任、17年まで務めた。現在は日本パンダ保護協会会長
土居利光(どい・としみつ)/1951年生まれ。東京都庁入庁後、東京都環境局生態系保全担当、多摩動物公園園長などを経て、2011年に上野動物園園長に就任、17年まで務めた。現在は日本パンダ保護協会会長
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 日本中に愛される上野のパンダ。その愛くるしさとは裏腹に、種の保存という過酷な宿命も背負う。繁殖は難しく、生後すぐの死という悲劇もあった。現在は日本パンダ保護協会会長を務める土居利光さんは、パンダの未来を祈り続ける。

【写真】中国から贈られたカンカンとランランは大フィーバーを起こした

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「涙の本当の理由は悔しさからだったんです。もちろんパンダが死んだことへの悲しさはありましたが、そんな単純な話ではなく、一言では表せない感情がその瞬間に湧き上がって……」

リーリーとシンシン
リーリーとシンシン

 2012年7月、上野動物園のパンダ「リーリー」(オス)と「シンシン」(メス)の間に待望の第1子が生まれる。同動物園では24年ぶりのパンダ誕生に世間は沸いたが、わずか6日後に死亡してしまう。当時、園長だった土居利光さん(70)は、記者会見で涙を流して言葉を詰まらせた。

 会見では、経緯やシンシンについての質問のほか、園の対応が正しかったのか、と追及するような質問も飛んだ。その瞬間、土居さんの頭に職員たちの顔が浮かんだのだという。

「失敗したみたいに言われたんです。ちゃんと育たなかったのは間違いないし、失敗なのかもしれない。けれど、職員たちは失敗するようなやり方は絶対にしていないし、精いっぱい努力していた。パンダが死んで、園長室に入ってきた担当職員は、涙を流しながら私に報告したんです。会見で厳しい言葉をぶつけられたとき、そんな職員たちの顔を思い出して、悔しくて」

 厳しい言葉を浴びたのは、パンダが死んだときだけではなかったと土居さんは続ける。

「パンダの子どもが生まれたときにも喜んでいる人ばかりではなかったんです。10年の尖閣諸島をめぐる問題から日中関係が悪化していて、『何を浮かれているんだ』というような電話が園にかかってきました」

 いろんな人がいろんな感情を持つ動物。土居さんはパンダをそう表現する。上野動物園のパンダは、なぜこれほどまでに人の感情を揺さぶるのか。それは上野のパンダに“物語性”があるからだという。1972年、初めて日本にパンダがやってきた。日中国交回復を祝って中国から贈られたカンカンとランランは大フィーバーを起こし、日本中が沸き立った。

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