ボウカーに負けず劣らず一生懸命だったのが、12年に西武入りしたカーターだ。

 名門・スタンフォード大学で人間生物学を専攻し、3年で卒業した秀才だが、「野球選手になりたい」という夢を貫き、08年にメジャーデビュー。メッツ時代の10年には100試合に出場した。

 来日1年目は、右膝を痛めて2軍スタートも、6月23日に1軍昇格をはたすと、同日のオリックス戦で、6回1死三塁のチャンスに代打で登場した。

 闘志満々で素振りを何度も繰り返しながら打席に入ったカーターだったが、力み過ぎがアダとなり、高々と三邪飛を打ち上げてしまう。

 すると、カーターはまるでクロスプレーのように一塁へ全力疾走。いささかも手を抜くことのない姿には好感が持てた。

 そして、8月23日のソフトバンク戦の試合前、カーターはチーム愛溢れる一世一代の大演説を行う。

 前々日のソフトバンク戦で栗山巧が死球を受け、右尺骨を骨折。チームも連敗し、首位の座を日本ハムに明け渡した。

 そんな危機的状況を前に、カーターは「勝者と敗者の間には、1センチしか差はない。オレ達はチャンピオンを目指すチームだ。今日はチャンピオンらしく闘おう。チャンピオンはあきらめない」と熱弁を振るった。

 通訳が訳した言葉を耳にした西武ナインは、闘志の塊と化し、5対2と快勝。1回に先制2ランを放った中村剛也は「気持ちの入ったスピーチだった」と感謝し、カーター自身も2対0の4回、追加点の呼び水となる右前安打で勝利に貢献した。

 シーズン終盤に再び膝が悪化し、1年で自由契約になったが、翌13年、BCリーグ石川を経て、6月に西武復帰。在籍2年で打率.263、4本塁打と成績は平凡ながら、ボウカー同様、記録よりも記憶に残る助っ人になった。

 最後に登場するのは、“安打製造機”として活躍を続ける一方、真面目な性格でファンから愛された男、リック・ショートだ。

 03年にロッテに入団し、「ショート」の登録名で打率.303、12本塁打、58打点を記録したが、1年で退団。その後、06年に楽天と契約し、再来日。登録名も「リック」に変わった。「“ショート”な当たりしか出んのう」とパンチ力不足を野村克也監督に皮肉られながらも、その野村監督を感心させるほど練習態度が良く、3年連続3割以上をマーク。08年には.332で見事首位打者に輝いた。

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引退の飯田哲也が涙した“リックの言葉”