高卒1年目から高いポテンシャルを感じさせていた中日・中里篤史だったが…
高卒1年目から高いポテンシャルを感じさせていた中日・中里篤史だったが…
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 今年もプロ野球12球団のキャンプが2月1日にスタートした。キャンプで大きく成長する選手がいる一方で、キャンプ中に野球人生を大きく変える悲劇的なけがに見舞われた選手もいる。

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 プロ2年目のキャンプで、“投手の命”肩に重傷を負ったのが、中日時代の中里篤史だ。

 ドラフト1位の中里は、高卒1年目の2001年9月16日の巨人戦で初先発初登板デビュー。清原和博を空振り三振に打ち取るなど、大器の片鱗を見せた。

 だが、“第5の先発”と期待された2年目、2月のキャンプイン直後に右肘の不安を発症。前年9月末にも右肘を痛めていたが、今度は別の箇所だったことから、2軍スタートとなった。

 状態はなかなか上がらず、2月10日、7日ぶりにキャッチボールを再開したものの、約10メートルの距離から30球にとどまった。山田久志監督も一度名古屋に帰すことを検討したほどだったが、その後、中里の状態は徐々に上向き、同13日にはブルペンで約15メートルの距離から50球投げられるまでになった。

 ところが、そんな矢先の2月20日に悲劇が起きる。沖縄・読谷村の2軍宿舎でミーティングを終えた中里は、同僚たちと1階ロビーに降りようとした際に、急勾配の階段に足を滑らせてしまう。咄嗟に手すりを掴もうとした直後、腕が後方にねじれる形で転倒。右肩を脱臼した。

 翌21日、那覇市内の病院で検査すると、右肩関節唇損傷と判明。さらに名古屋で再検査を受けると、右肩関節包損傷も見つかり、シーズン中の復帰は絶望となった。

 その後、3年間にわたる苦闘の末、05年に4年ぶりの1軍昇格をはたした中里だったが、再び故障に泣き、通算2勝2敗と大輪の花を咲かせることなく、巨人移籍後の11年に引退。だが、数少ない登板機会で見せた高めにホップする快速球は、今もファンの脳裏に鮮やかに残っている。

 キャンプ中の大けがで野球を断念したのが、大洋のテスト生・馬場正平(後のジャイアント馬場)だ。

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けがなければ“プロレスラー馬場”は生まれなかった?