
これまでに多くの写真家がインドを訪れ、たくさんの作品が撮られてきたことも頭に浮かんだ。
「それと同じようなイメージを撮りたくなかった。だから、インドに行く前に自分のイメージを固めて、それに集中して撮ろうと思って、テスト撮影をしたんです。カメラとフィルムを決めて、娘を多摩川に連れて行って写した」
ミーヨンさんの頭の中にあったのは川面にピントを合わせ、「人をちょっとぼかして撮る」イメージ。フィルムも「はっきりと色が出るというより、やわらかく撮れるもの」を選んだ。
■聖地はどこにでもある
そんな準備を重ねて訪れたバラナシでミーヨンさんは何を撮ったのか?
「もう、なんていうか、光ですよ。ガンジス川の向こうから朝日が昇ってくるんです。赤い光が次第にパーッと白くなって。ミルキーでソフトな光がすごく美しいんです。ほんとうに神聖に見える」
さらにミーヨンさんは、その光に向かって祈る巡礼者たちの姿に心を揺さぶられた。
「その一人一人が神聖なものに見えたんです。光が彼らと一体化して。私も、それと一体化するような瞬間があるんじゃないかと、撮りながら思った。私自身も巡礼する気持ちで見ていたから」
なんとも不思議な感覚だが、ミーヨンさんは、こう続けた。
「写真を撮るとき、いつも思うんですけれど、撮っている対象と、カメラを通じて一体化するというか、被写体と真っすぐにつながっている感じがするんです」

ミーヨンさんは毎日、日の出前にガンジス川を訪れ、岸辺を行ったり来たりして1日を過ごした。
「その真ん中に火葬場があるんです。木を積んで、その上に遺体を置いて、さらに木を載せて、燃やす。最初はすごく怖かった。でも、毎日通っていると、だんだん慣れてきて、それを眺めるようになりました。自分も死んだら、こうやってゆっくり焼いてもらいたいな、と思ったりして(笑)。高温でぱっと焼くより、こっちの方が自然でしょ。結局、私たちは自然の一部なんですから」
ミーヨンさんは「聖地というのは、たぶん、どこにでもある」と言う。
「自分が信じている自然があれば、それが神様だと思う。それは自分自身の投影でもあると思うんですね。そう考えれば、人間一人一人が神聖で、神様でもある」
日本でも海や川などで身を清めるミソギの神事が行われるが、聖なるガンジス川に身を浸し、朝日に祈る巡礼者の姿は世俗から切り離されたようで美しい。そんな神々に参ずる自然な姿を目にすると、心がかき立てられる。
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】ミーヨン写真展「Truth is One」
Place M(東京・新宿御苑前) 2月14日~2月20日