1978年、キャンプでの打撃練習で正確なミートをみせる
1978年、キャンプでの打撃練習で正確なミートをみせる
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 昭和のプロ野球史を彩った名選手たちの雄姿は、私たちの脳裏に深く刻まれている。そんな名選手たちに、長い野球人生の中で喜びや悔しさとともに今も思い出す、忘れられない「あの一球」をライターの宇都宮ミゲルさんが振り返ってもらった。全4回の短期集中連載2回目は、ミスタースワローズこと若松勉さんに聞いた。

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 チームが三番打者に期待するのは、一、二番打者が作った好機を点に結びつけること、あるいは好機を広げる打撃で四、五番打者へとつなぐこと。時には、膠着状態の試合で流れを変える巧打も求められるし、勝敗を左右する決定力、長打も欲しい。そんな期待に応えるためにはまずコンスタントな高打率が必要であるし、長打力も秘め、逆境に強いメンタリティも必要だ。こうした資質をすべて兼ね備え、長きにわたり、理想的な三番打者として機能し続けた代表格が若松勉であろう。十九年間の現役通算で打率3割1分9厘(二〇二二年十一月現在、6千打数以上の選手では歴代一位)、通算サヨナラ本塁打8本(二〇二二年十一月現在、セ・リーグタイ記録)などの記録は、その至高の打棒を十分に証明するものだ。身長168センチメートルの「小さな大打者」はなぜそこまで長短打を量産できたのか。まずは本人に、打撃における思想と技法について聞いていく。

「その試合の一打席目をとても大事にしていた。最初にヒットが出ると二本、三本といけるじゃないですか。だから一打席目は特に集中して気合を入れる。初球でも、追い込まれてもヤマは張らない。あとは基本的に変化球を待っていて、真っ直ぐがきたらそれに対応しようというスイング。イメージとしてはインコース引っ張るでしょ、真ん中はセンター方向、アウトコースはレフト方向にっていう素直な考え方ですよね。でもアウトコースはレフト前ヒットじゃなくて、インパクトの瞬間、レフトオーバーを狙ってね。だからアウトコースは当てるだけじゃダメで、上からバーンと振り切らないといけない」

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