ちなみに二試合連続代打サヨナラホームランを達成したのはプロ野球史上、若松と豊田泰光(一九六八年に記録)の二名。通算代打サヨナラホームランとなると若松、高井保弘の二名が3本で日本記録となっている。そう、若松は一九八七年から代打の切り札として活躍し、引退までの三年間、好機で快打を連発。通算での代打打率は3割4分9厘で歴代一位(2リーグ制後、300打席以上のランキング)と、滅法チャンスに強い打者でもあった。
■打ちたかった、あと一本のアーチ
都合十九年間、ヤクルト一筋に長短打を放ち続け、四十二歳で現役を引退した若松。ここまで現役を続けられた理由について問うと、こんなエピソードについて語り始めた。
実は、そのおよそ六年前、三十六歳の時に引退しようと決めかけたことがあったというのだ。
「その頃、身体が動かないなと思って辞めようかと。それで、ヤクルトでバッティングコーチをやっていた町田行彦さんに相談したら、王さんに一度会ってみなよと言われてね。都内の寿司屋でね、王さんと二人っきりで相談する機会があったんですよ。そうしたら王さんが俺にこう言ってくれて。『プロに入るのが遅かったからその分、もう一度、下半身を鍛えたらどうか。まだまだ、できるよ』と」
世界の王からこのような勇気づけられる言葉をもらい、心変わりに至ったという若松。結局、この寿司屋での出来事を経て、以降、六年間も現役続行することになっていった。同じ左の偉大な打者として、王の言葉はそれだけ信頼できる重みを持っていたということなのだろう。
高校時代、社会人野球時代、そしてプロ入りしてからも優勝とは無縁だったが、一九七八年、念願のセ・リーグ優勝を果たした際には歓喜のあまり、同僚の大矢明彦と抱き合いながら号泣。結局、現役、一軍打撃コーチ、二軍監督、一軍監督と立場を変えながらも、ヤクルトに在籍中は五度の日本一を経験し、果たしてやり残したことはあるかと最後に聞くと、本人はニコリと笑いながらこう答えた。
「そうね、やっぱりホームラン。俺にはね、王さんを抜けるチャンスがあったの。通算サヨナラホームランの数が8本で王さんと並んでたんですよ。だってホームランの記録で王さんに勝てるなんてサヨナラくらいしかないじゃない。そう考えたら力んじゃって全然、打てなくなっちゃった(笑)。記録としては並んでるんだけど、あと一本ですよ。一本打てば王さんより上にいけた。これは、打ちたかったな」
卓越したミートの技術と、強烈なパンチ力。この打者が終始、ホームランだけを狙い続けていたら、一体、どれほどの頂に到達できたのか。そんな夢想が頭を駆け巡った。(次号は福本豊さんです)
※単行本『一球の記憶』は、村田兆治、山田久志、石毛宏典、高橋慶彦(敬称略)など合計37名のインタビューを加えて2月下旬に朝日新聞出版から発売予定です。
※週刊朝日 2023年1月27日号