■二夜連続の劇的な幕切れ
では本稿のテーマである、記憶の中に残り続ける一球とはどのようなものだったのか。その瞬間について聞いていくうち、若松という打者の持ち味が打率の高さだけではなく、勝負強さでもあったことが思い出された。
「俺ね、二試合連続で、しかも代打でサヨナラホームランていうのをやってるの。それがやっぱり一番、頭に残ってるかな。二本とも右中間、同じような場所に入って」
つまり正確には記憶に残る一球ではなく、二球ということになる。一九七七年六月十二日と十三日、舞台はともに神宮球場でのヤクルト対広島戦。十二日は十回裏に広島のピッチャー、池谷公二郎から。十三日は九回裏に松原明夫から。どちらも遊撃手である渡辺進の代打として登場という、まるでリピート映像のような二夜連続のホームランを放ったのだ。
「その頃、ちょうど脇腹に肉離れがあって、四打席は難しい状態だった。だからスタメンを外してもらって、一振りならいけますって。それでテーピングを胴の周りにグルッと巻こうと思ったんだけど、普通のテープだと固定されすぎちゃって身体全体が動かないんですよ。じゃあってことで自分で考えて、自転車のタイヤ用チューブを買ってきて、それを割いて身体に巻くといい感じだった」
二夜ともに、代打の声が掛かればすぐにチューブを巻いて打席に向かえるよう、心身の準備をしていた若松。そしてどちらの代打の場面においても、自分にしかわからない大きな制約があったと話を続けた。
「一振りで決めないといけないっていうのがあった。肉離れだから空振りしたり、何度も振るっていうのが本当にできない状態。だからね、偶然なんだけど、どちらの打席も狙い球をスライダーに絞って。一球で仕留めてやる!と思いながら」
言葉通りに二本のホームランはそれぞれ一振りで達成され、空振りやファウルなどはなし。まさに一撃必殺、それも連夜の代打サヨナラホームランであったのだ。
「ホームランを狙っていたわけじゃなくて。しっかり打ってなんとか塁に出ようと考えていた。だけどね、代打って結構難しいですよ。勝負どころが分かってないと、行けって言われた時にピタッと気持ちを合わせられないからね」