◆訪問看護に携わって初めて「寄り添えている」実感が持てた
大軒愛美(正看護師、看取り士)
看護歴16年目の正看護師。大学病院や個人病院などで勤務する中で、病院での死のあり方に疑問を持つように。現在は「より良い最期」を迎えるため、患者に寄り添うことを心がけて終末期医療に力を注ぐ。
「最期をどこで過ごしたいか」と聞かれると、多くの人が自宅と答えます。にもかかわらず、望んでいない病院で最期を迎えている人が圧倒的に多い。私は病院での勤務経験を踏まえて、「それで本当に良いのか」と問いたいのです。
病院という場所は、あくまで“仮の場所”であるため、個人のプライベートについて細かい配慮がなされていません。その象徴とも言えるのが、入院中に過ごす部屋。多くの場合、複数人での部屋で過ごすことになりますが、隣の患者さんとはカーテンで仕切られるだけで音は筒抜け。気が休まらない方も多く、実際に入院中にストレスが蓄積されてしまい、鬱になってしまう人もいます。病院で最期を迎えるということは、最後までストレスを抱えたままの状態が続くとも言えるのです。
医師の言うことに疑問を持たず、鵜呑みにする人が多いことも懸念の一つ。例えば、治る見込みがかなり薄い患者さんを手術する例。医師に「治したい」という気持ちがあるのはもちろんですが、「自分の腕を磨きたい」「手術の症例数を上げたい」という思いもあるものです。日本は医師の言うことに従うのは当然という空気がありますが、治療をどこまでやるか、最期をどこで過ごすかといったことは、本来は自分が選択すべきこと。医師の言うことを聞くばかりではなく、自分の意思を持ってほしいと思います。
私は看護師として複数の病院に勤務してきましたが、慢性的な人手不足もあり、医療者は余裕がなくなりがちでした。患者さんと看護師との関わりはわずか数分。入院中の患者さんにとって最も身近な存在は、医療スタッフではなくテレビになるということも珍しいことではありません。
恥ずかしながら、在宅医療の中の訪問看護という仕事に携わるようになってから、きちんと患者さんに「寄り添えている」という実感を初めて持ちました。もちろん病院でも患者さんと向き合っているつもりでしたが、「寄り添う」ということは難しかった。満足している患者さんの姿を見られることが、在宅医療のやりがいです。
人生の最期が迫る中で今後のことを考える時間があるのなら、より良い最期を迎えられるように準備してほしい。多くの人が、よくわからないままに“何となく”病院で終末期を迎え、家族と切り離された慌ただしい場所で亡くなっていきます。自分の最期が本当にそれで良いのか、ぜひ考えてほしいと思うのです。
(フリーランス記者・松岡かすみ)
※週刊朝日 2022年3月4日号