◆死を病院から再び家に戻すべきじゃないかと考えるようになった

桜井隆(さくらいクリニック院長)

 兵庫県尼崎市で30年にわたり、家での看取りを支援し続ける。家での看取りについて考える市民参加型のプロジェクトや演劇活動など、多方面に活躍中だ。なじみの高齢患者には「あと何年生きたいですか?」「どうやって死にたいですか?」といった“往生際談義”を通じ、最期の希望を明るく引き出す。

 私は町医者の外来診療の延長として往診などの在宅医療に関わっていく中で、亡くなっていく患者を家で見送るようになりました。今でこそ、在宅看取りに関する活動をいろんな形で行っていますが、基本的には「呼ばれたら行く」という“出前スタイル”。当初はとりたてて「在宅ケアを支える」という理念があったわけではなく、「もう入院はしたくない」という患者を家で診ていたら、そのまま亡くなってしまったというあっさりした流れがスタートでした。

 最初に家で看取った肝臓がん末期の患者さんのことは、今でもよく覚えています。「あれだけ入院を嫌がっていたのだから、畳の上で死なせてあげたい」という奥さんの固い意志のもと、家族に見守られながら、草花が枯れていくように、だんだんと息をしなくなる患者。「これが息を引き取るということか」と、病院では感じたことのなかった、死の自然な姿を初めて教えてもらいました。

 その後、いろんな人をそれぞれの家でお見送りする中で、住み慣れた家で看取るということが、かけがえのないことに思えてきました。病院で亡くなる人がほとんどの今、死というものは病院の中、医療の中に閉じ込められ、得体の知れないものになっている。ですが本当は、医療は死の一部にちょこっと関わるだけでいいはず。昔の日本がそうであったように、死を病院から再び家に戻すべきじゃないかと考えるようになりました。

 これまで多くの患者さんを看取ってきましたが、私は患者さんと住空間をセットで、景色として覚えていることが多い。阪神・淡路大震災の仮設住宅で看取った患者も何人かいます。誤解を恐れず正直に言えば、患者のことより先に、その家への道順や家の間取りやベッドの位置を思い出すこともあるぐらい。それだけ人の生活空間というものは雄弁で、患者の家に行って初めてわかることがたくさんある。

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