医療の現場に立って45年。僕は研究歴のない根っからの臨床医で、大学在学中から「将来は田舎の医者になろう」と決めていました。医者がいない田舎で、人と人が丸ごと関わるような在宅医療をするのが夢で、早い段階から方向性が固まっていました。田舎の医者になるなら、どんな分野でも診られるようにならないといけない。それで修業のつもりで、高松赤十字病院で内科医として、20年ほど勤務しました。
当時の病院では、「患者の死は医療の敗北」という雰囲気がありました。助かる可能性のある命にはとことん頑張る、これは医療の大原則です。一方で、老衰と呼ぶべき症状にはどこまで何をすべきか。医療者の満足ではなく、患者の満足の質とは何か。いろんな患者や家族と接する中で、自分に問うてきました。
病院では患者さんが亡くなるときに、心電図のモニターをつけます。すると家族がモニターの波形ばかり見る。僕はそれが嫌で、思わず「命はそちらではありません」と家族に注意したことも。あの人工的な音が看取りの場面には不似合いのように思い、ある時期から僕の患者さんの看取りの場面には、機械を入れないようにしました。
45歳で現在の地に移り、田舎医者としてこの地に根ざして25年。ここに来てから「この患者に何をして何をしないか」を、より考えるようになりました。ここ四万十では、患者が自分の死に方を口にすることが多いのです。「家で死にます」と自分の意思をはっきり口にする人が少なくないのです。死がタブーでも湿っぽくもない。そのきっぱりした態度はどこから来るのか。それは医療が遠い田舎という環境で、自然を生で感じながら暮らしているからだと思います。「自然には勝てない」とわかっているから、生活の中に当たり前のように死がある。それを受け入れる強さと覚悟がある。自然の中での暮らしは、そういうことではないでしょうか。
田舎の不便さはもちろんあります。移動距離も長いし、時間もかかる。看護や介護の担い手も不足。都市部のような24時間巡回も難しい。それでも人と人の濃い関係性があり、ビジネスではない心の通ったやり取りがある。そして“非効率”を埋める自然がある。僕が看取った患者の家族が言った「鳥のさえずり、窓をたたく風の音、母が茶碗を洗う音、その中で父は最期を迎えました」の言葉は、田舎の在宅死の象徴とも言えると思います。
医療者はなるべくお節介をせずに、命の流れについていく。人の命も自然の中のもの。川の流れのように生きて死ぬ。ここの人は、痛まず、苦しまず、なじみの中で迎える最期を「いい仕舞い」と言います。僕は「いい仕舞いをありがとう」と言われるのが、最大の励みです。一つでも多く、いい仕舞いを迎えられるように、今日も患者と向き合います。